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北海道神宮(北海道札幌市中央区)

作成日 平成25年8月11日
追記日 平成29年9月16日
よみ  ほっかいどうじんぐう 地理院地図
参拝日  平成24年9月23日(日)
所在地  札幌市中央区宮ヶ丘474 (43度3分15.35秒 東経141度18分27.94秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 北海道神宮  Wikipedia:北海道神宮  当社HP
祭神  大国魂神 (おおくにたまのかみ)
 大那牟遅神(おおなむちのかみ) 
 少彦名神 (すくなひこなのかみ)
 明治天皇 (めいじてんのう) 
由緒  官幣大社・別表神社。
 鳥居横にある掲示板によると、

      北海道神宮

        祭神
 大国魂神 
 北海道の国魂の神
 大那牟遅神 大国主神と同神国土経営開拓神
 少彦名神  国土経営医薬酒造の神
 明治天皇  昭和三十九年 鎮座

        例祭
             六月十五日

        由緒
 明治二年九月一日明治天皇の詔により北海道の開拓の守護神として東京の神祇官に開拓三神を 御鎮齋(おまつり)になったのが北海道神宮の創祀であります
 つづいて開拓長官東久世通禧(ひがしくぜみちとみ)が神祇官より御霊代を戴き、開拓判官島義勇 (しまよしたけ)が御霊代を奉じ札幌の地に入り明治四年五月に札幌神社と社名が定まり、同年九月に この円山の地に社殿を造営し鎮座されました
 昭和三十九年十月 明治天皇が鎮座され札幌神社より北海道神宮と改称し北海道の総鎮守として 崇敬されています
 

西野神社(札幌市)の神職 田頭さんのブログ西野神社社務日誌2009-04-17)によると、明治二年九月の御鎮齋とは つぎのやうなものだったといふ。
札幌神社の創建は、明治2年9月1月に、東京の宝田町(現在の皇居外苑)に置かれていた神祇官(古代の律令制で設置された祭祀を司る機関で、明治政府の発足と共に再興されました)の庁舎で斎行された「北海道鎮座神祭」にまで遡る事ができます。戊辰戦争終結後、政府は蝦夷地を北海道と改称し、北海道の開拓と行政を担当する「開拓使」という新たな機関(省と同格の中央官庁の一つ)を新設したのですが、開拓使長官以下の官吏を現地に赴任させるのに先立って、まずは東京にて、北海道鎮座神祭を斎行したのです。
 この神祭の趣旨は、その時に奏上された祝詞や宣命によれば、「叛徒(旧幕府軍)の平定を告げて、北海道に浦安な平安を願い、荒ぶる神の働きが帰攘される事を希求し、五穀作物の繁栄を願い、官人の北海道差向を告げる」もので、祝詞の内容としては神社の創建を奏上している訳ではないものの、この神祭は、北海道の開拓と北海道に於ける神社創建の出発点に位置付けられる、極めて重要な神事でした。
 そのため、当日は勅使(天皇陛下のお遣い)として宮内権大丞四辻公賀の差遣があり、また開拓使からは長官の東久世通禧以下23人の官吏らが参列し、斎主は神祇伯中山忠能が務めました。そして、この神祭で明治天皇の勅旨により降神されたのが「開拓三神」と称される、大国魂神(おおくにたまのかみ)・大那牟遅神(おおなむちのかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)の三柱の神様でした(現在北海道神宮本殿でお祀りしている御祭神四柱のうちの、明治天皇を除く三柱です)。

 境内社に、開拓神社札幌鉱霊社穂多木神社がある。
 境外社に、頓宮(南2東3)がある。
雑記   母が病で入院してゐたときの1月以来、38年ぶりの参拝だった。そのときは、大通りを歩いてきたから東側から入ったのだらう。写真にある鳥居は記憶になかった。
 札幌駅からは西南西に4.2km、地下鉄円山公園駅からは1.0km。


写真

平成24年9月23日

平成24年9月23日 結婚式があったやうで新郎新婦らが拝殿の前で記念撮影してゐた

平成24年9月23日

平成24年9月23日

・29.09.16 (1)境外社頓宮についてを追記、(2)地図を掲載、(3)地理院地図へのリンクと所在地緯度経度訂正
・01.06.30 北海道神社庁北海道の神社URL更新


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