よみ
| みよし じんじゃ
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参拝日
| 平成29年2月7日(火)
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所在地
| 札幌市中央区南1条西8丁目17番地 (北緯43度3分30.42秒 東経141度20分42.74秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP等
| 北海道神社庁 北海道の神社 三吉神社
Wikipedia:三吉神社(札幌)
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祭神
| (由緒欄参照)
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由緒
| 旧県社。
板に墨書されたものには次の様にある。
由緒略記
祭神 大己貴神 少彦名神 藤原三吉神 金刀比羅宮 天満宮
由緒 延暦二十年坂上田村麻呂将軍蝦夷地開発ノ為秋田太平山ニ祀ル
其ノ御分霊ヲ明治十一年豊平河畔ニ奉斎シ翌年現地に奉遷ス
大正四年氏神トシテ幣帛供進指定セララル
神社公認明治十三年十一月二十九日
村社昇格明治十五年十月三十一日
郷社昇格明治三十年二月五日
県社昇格昭和五年四月三十日
御使御差遣昭和十一年十月二日甘○侍従御参拝
例祭日 五月十五日
三吉神社
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掲示板に掲示のものは、以下の様。
三吉神社由緒
御祭神
| 大己貴神(おおなむちのかみ) 縁結び、開拓、医薬の神
少彦名神(すくなひこなのかみ) 医薬、開発、漁業、酒造の神
藤原三吉神(ふじわらみよしのかみ)勝利成功、事業繁栄の神
金刀比羅宮(ことひらぐう) 航海守護の神
天満宮(てんまんぐう) 文学、技芸の神
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明治十一年五月秋田県人木村藤吉、秋田の国太平山鎮座三吉神社の御分霊を豊平川東詰に奉斎、八日を祭日として武田万水に託し鎮座祭を執行するが、「地所火除地に接近するを以て除宮すべし殊に廣く参詣人を許さず」との御達しがあり、翌明治十二年四月渡島通百二十一番地(現中央区南一条西八丁目)に遷座する。
武田万水高齢により札幌神社(現北海道神宮)禰宜若林嘉倫に依頼し、毎月八日に小祭を執行することとし、五月八日を例祭日とする。しかしこの日は雨が多いため、先々代宮司 佐藤 桂、大正十三年に例祭日を五月十五日に変更する。
明治三十六年より例祭日に神輿市内を巡行するが、戦争のため昭和十五年中止する。替わって昭和十六年より子供みこしの巡行を行うが、交通事情によりこれも昭和三十七年に中止する。
昭和五十三年は御創祀百年に該り、記念事業として昭和五十二年社殿及び社務所を造営し、翌五十三年に百年記念大祭を執行する。
昭和五十四年は現地に遷座より百年に該り、これを機に子供みこしを復活し祭の隆昌を計る。昭和六十年、氏子崇敬者の尽力により、御輿渡御が四十五年ぶりに復活し御神徳の高揚に努める。
更に、平成二十年御創祀百三十年記念事業として御輿を新調し、道内御輿会の奉仕により順行する。十月二日には、御創祀百三十年記念大祭を執行する。
御創祀
| 明治十一年五月(昭和五十三年 創祀以来百年)
| 現地遷座
| 明治十二年四月(昭和五十四年 遷座以来百年)
| 神社公認
| 明治十三年十一月二十九日(昭和五十五年 神社公認以来百年)
| 村社昇格
| 明治十五年十月三十一日
| 郷社昇格
| 明治三十年二月四日
| 県社昇格
| 昭和五年四月三十日
| 御使差遣
昭和十一年十月二日
| 例大祭
| 五月十五日
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雑記
| 函館本線札幌駅から南南東へ1.1kmのところにある。市電の線路が社頭の路上を東西に走ってゐて、東100m程の所に西八丁目停留場がある。
雪があるので、埋れて見られなかったものも在るに違ひない。社号標の背面には「昭和五年四月三十日 株式合資会社 地」と読める。下の方は雪で隠れてゐて、社名は、地崎組だと思ふ(のち、地崎工業に社名変更)。覚えてゐなかったが、平成十九年に岩田建設に吸収合併されてゐた。バブル崩壊による負債を抱へ、後の公共事業縮小により自力再建を断念してゐた。北海道の人なら誰でも知った社名だった。ジャンプ大会でも、良く聞いた社名だ。
訪れたのは、札幌雪祭を見に行った際。時間が少し出来たので当社を含め三社を巡った。
北海道の神社巡りで、雪のある時期に行くとは思ってゐなかった。そんな訳で、雪祭会場に近い当社だけは別として、今回、他へは行く機会は無いと思ってゐた。ために事前の準備はしてゐなかった。平成24年秋に来た時に下調べしてゐた記憶とガイドブックの地図を頼りに歩いた。(具体的な事は、弥彦神社の所で書く事にする。)
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