神社訪問記HP北海道後志管内 > 倶知安町

倶知安神社 (北海道〈後志〉倶知安町八幡)

参拝日 令和元年9月20日(金)
作成日 令和2年10月10日(土)
追記日 令和6年3月15日(金)
よみ  くっちゃん じんじゃ  
所在地 〈後志管内〉倶知安町字八幡476 (42度54分13.62秒 140度47分31.57秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 倶知安神社
・当社facebook
祭神  誉田別尊(ほんだわけのみこと)
 安倍比羅夫将軍(あべのひらふしょうぐん)
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 大山祗神(おおやまつみのかみ)
 保食神(うけもちのかみ)
 菅原道真公(すがわらみちざねこう)
 大国主命(おおくにぬしのみこと)
 事代主神(ことしろぬしのかみ)
 天之鈿女命(あめのうずめのみこと)
 大山咋神(おおやまくいのかみ)
 玉姫稲荷大神 
由緒  元郷社
 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 クッチャン原野に入植した縫部兼次郎・萬代佐太郎・山本保次郎・山本弥平は、明治二十九年四月二日入植者達と協議し、開拓の守護神として石清水八幡宮より誉田別尊の御分霊を勧請、ブイタウス(現豊岡)の小祠に祀ったが、同年九月三日に現在地に遷座した。翌年九月一日に、八幡神社の創立を出願。翌年一月二十四日に許可される。大正七年、村社に昇格し、神餞幣帛料供進神社に指定される。大正十一月(ママ)、郷社に昇格。同十四年に社務所焼失。翌年再建。昭和十七年、石造大鳥居を建設し、斉明天皇の御代に安倍引田臣比羅夫、後方羊蹄に郡領を置くとあることから、後志開拓の祖神、安倍比羅夫将軍を増祀する。昭和二十二年、北四西一に頓宮氏子集会所設置、同社殿他を三十年迄に建設、三十四年に南一東二に移設。二十七年、倶知安八幡神社に改称。四十年十一月五日、浮浪者の焚火不始末で社殿を全焼失したが、四十八年に再建。四十一年、現社名に改称した。
合併により合祀された歴史をもつ御祭神
 比羅夫神社 大山祗神、天照大御神、保食神 明治三十一年頃創祀 昭和四十一年十月二十七日合祀
 天満宮 菅原道真公、天之鈿女命 明治三十一年頃創祀 昭和四十一年十月二十七日合祀
 山陰神社(後に出雲神社)大国主神、事代主神 明治三十一年九月創祀 昭和四十一年十月二十七日合祀
雑記  倶知安町役場から東へ3.0km、倶知安駅からは東へ4.2kmのところにある。頓宮が西へ3.2kmの市街地中心部にある。胆振線が通ってゐた時は、社頭から南東へ250m(道程350m)の所に参郷駅(昭和35年開業・昭和61年廃止)があった。

 倶知安の歴史(年表)(2)によれば、「開基は明治25年5月19日(17日の説もあり)」と云ひ「第一次移住者、真鍋浜三郎ほか5人倶知安原野入墾」してゐる。年表には「斉明5年(659)阿倍比羅夫、後方羊蹄に郡領を置く(日本書記)」とびっくりするほどの昔。後方羊蹄は しりべし と読む。(羊蹄とはタデ科の植物の「ギシギシ」の漢名で、和名は「し」です。ですから、「羊蹄」を「し」と読んだようです。(3)

 地名については、六丈記2の後方羊蹄(3)によれば、
 羊蹄山麓には尻別川が流れていますが、江戸時代には尻別川一帯をアイヌ語でシリベツ(山の川)と呼んでいたようです。このシリベツを日本書紀にある後方羊蹄と考えたのは新井白石です。白石は「蝦夷志」で羊蹄山麓のシリベツを「後方羊蹄」としました。「後方羊蹄」の読みを「しりべし」としたのも白石です。
 幕末に、松浦武四郎(伊勢出身、1818年生まれ)が蝦夷地探検の一環としてこの地を訪れ、羊蹄山を後方羊蹄山(しりべしやま)と名付けました。武四郎は阿倍比羅夫の後裔と信じていたため、富士山を連想させる山があるこの地域が、阿倍比羅夫が政庁を設置した後方羊蹄であって欲しいという心情が働いていたのかもしれません。

 蝦夷富士羊蹄山神社の祭神は、大山祗神・大國主神・豊玉姫命。

 見てきた碑等
  • 由緒掲示 二基 一つは大正年間、一つは昭和四十年代に設置されたと思はれる。古い方は立派な台座の上に建ってゐるが1/4しか読取れない。
  • 社号標  「郷社 八幡神社」、側面に「大正十一年九月例祭 虻田郡倶知安町字八幡」と彫られてゐる。
  • 手水舎  昭和三十二年度還暦初老 盛女算賀 躍進會 奉納 記念事業
  • 庚申塔  青面金剛が彫られてゐる
  • 電燈架設 記念  寄付者は十七名で全員女性
  • 「尊農開基」の碑  「北海道知事 町村金五書」、碑背には、横書で「倶知安土巧組合設立50周年記念 倶知安土地改良区20周年記念 昭和45年6月10日建立」とある。
  • 「倶知安小学校発祥旧跡地」碑/倶知安最古の学校の旧跡地を伝える掲示  学校は、明治29年に開校し、明治43年八幡小中学校に移転まで神社境内地にあったといふ。(昭和45年9月15日) (筆者注 八幡小中学校は神社東側の地に設置、当初「倶知安尋常小学校」のみ、昭和22年に中学校併置、昭和59年東小学校に統合され閉校)
  • 銀杏と献木の碑  碑には「香川県文化財大銀杏の子を古里しのぶ父がうえたり 献木 昭和二十八年 上原孫三郎 明治三十年移住」、平成年間に古希になったのを機に建てた由。銀杏は、樹齢の割に細いやうに思へる。気候の影響か?

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

社号標が右に「蝦夷富士一の宮 倶知安神社」、背面に「奉納 昭和四十二年度還暦初老盛女算賀躍進会一同」、左に「境内社 蝦夷富士羊蹄山神社」。(写真9参照)

写真2 参道
写真2 拡大 (1280×960)

参道・二の鳥居

写真3 神門
写真3 拡大 (1280×960)

神門

写真4 社殿正面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真5 御本殿
写真5 拡大 (960×1280)

御本殿

写真6 拝殿内
写真6 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真7 境内社 蝦夷富士羊蹄山神社
写真7 拡大 (1280×960)

境内社 蝦夷富士羊蹄山神社

平成22年七月に修築されてゐる。

写真8 境内社 蝦夷富士羊蹄山神社
写真8 拡大 (1280×960)

境内社 蝦夷富士羊蹄山神社

写真9 社号標
写真9 拡大 (1046×1280)

社号標

写真右は、境内の奥に設置されてゐる。表に「郷社 八幡神社」、側面に「大正十一年九月例祭 虻田郡倶知安町字八幡」と彫られてゐる。八幡神社は旧称。

写真10 地神塔
写真10 拡大 (1280×960)

地神塔

御朱印 倶知安神社
御朱印拡大 (454×640)

倶知安神社

御朱印 蝦夷富士 羊蹄山神社
御朱印 蝦夷富士羊蹄山神社 拡大 (450×640)

蝦夷富士 羊蹄山神社


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.419
  2. 令和2年10月10日閲覧 倶知安町 倶知安の歴史(年表)
  3. 令和2年10月10日閲覧 六丈記2 後方羊蹄

改訂記録
  • 令和06.03.15 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

文頭へ移動  ホーム(神社訪問記)


inserted by FC2 system