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京極八幡神社 (北海道〈後志〉京極町)

参拝日 令和元年9月20日(金)
作成日 令和2年10月10日(土)
追記日 令和6年3月16日(土)
よみ  きょうごく はちまん じんじゃ  
所在地 〈後志管内〉京極町京極621番地 (42度51分23.73秒 140度53分13.52秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 京極八幡神社
祭神  応神天皇(おうじんてんのう)
 大己貴命(おおなむちのみこと)
 少彦名命(すくなひこなのみこと)
 保食神(うけもちのかみ)
 埴安姫神(はにやすひめのかみ)
由緒  元 村社
 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)
由緒 明治三十一年四月二十五日、讃岐國旧丸亀藩主子爵京極高徳が京極農場鎮護のため、官幣大社男山八幡宮(現在の石清水八幡宮)の御神璽を奉戴し、現今の地に鎮祀。大正八年九月村民一統協議の上、村社創立期成会を創設し、京極家及び同農場より神祠を改築方寄付の承諾を得、大正十一年五月三十日、村民一同連署の上、神社設立出願。大正十二年五月十日、八幡神社設立許可。大正十二年九月二十四日、官幣大社出雲大社・国幣中社酒列磯前神社・官幣大社稲荷神社より大己貴命。少彦名命・保食神の御神璽を奉戴し、併せて埴安姫神を勧請して鎮座。大正十四年五月十六日社殿改築(幣殿拝殿新築)。大正十五年六月二十一日村社に列せられる。大正十五年八月五日神饌幣帛料供進神社に指定される。昭和二十一年八月宗教法人設立、神社本庁所属、京極八幡神社と改称。平成九年八月五日社殿改築、翌六日に御鎮座百年祭を斎行する。
雑記  京極町役場から南東へ300mの所にある。鉄道の最寄駅は、函館本線の倶知安駅で、当社から西北西へ11km(道程15.3km)離れてゐる。
 かつて胆振線が通ってゐた時は、京極駅が当社から北北西へ1.3km、役場からは1.0kmの所(ワッカタサップ川右岸)に、東京極駅が役場の東北東0.7kmにあった。

 境内に、「創祀百年鎮座趾」の碑がある。背面には、「掲示三十一年四月二十五日 京極農場開拓鎮護の為創祀 平成九年八月五日 鎮座百年記念社殿造営遷座」とある。

 地名の由来は、開拓を率いた讃岐丸亀藩主家の京極高徳による。胆振線があったころ「京極駅」の名をみて記憶に残ってゐたが、名の由来は知らなかった。当時、調べるのは容易ではなかった。

 同町の名は、近くは、北電が京極に揚水発電所を建設中とのニュースで町の名を聞いてきた。平成26年に営業運転を開始した。最終的には、20万kW×3台で、3号機は令和11年(2029)以降の運転開始を計画してゐる。
 原子力発電所が運転可能な場合、夜間電力を利用して揚水できたが、停止してゐる現状ではどの様な電力を利用してゐるのか判らない。余剰電力利用ではなく、揚水のために発電したのなら、無駄が大きいとしかいえない。
 発電可能量について考へてみた。191m3/秒で20万kWの発電が出来る(3)。412万m3の水が利用出来ると(4)いふので、発電可能時間は6時間、依って120万kWh。2台運転で3時間。(412万m3÷191m3/秒÷3600秒/時間=5.99(時間))。
 原発が運転されるまで、3台目の発電機は無くても良いかも。

京極町の沿革は、(3)
・明治30年 京極高徳が京極農場を開場
・明治43年 倶知安村から分村。東倶知安村と称す
・昭和15年 京極村に改称
・昭和37年 町制施行

 胆振線の前身、京極軽便線(後、京極線)が大正8年に倶知安-脇方間が開通してゐる。脇方は京極市街地から東へ七八km程の所(駅間は営業キロ7.5km)で、明治31年に褐鉄鉱床(倶知安鉱山、昭和44年閉山)が発見され、鉱石運搬のため鉄道が敷設された。脇方駅一つ手前に京極駅が置かれた。
 脇方駅から倶知安・長万部を経由して室蘭(現東室蘭)駅まで運んだ場合、およそ180km、昭和16年に胆振線全線開通後は96kmと半減。
 脇方には、昭和44年の1/50000地図には二つの神社があり、鎮守の天照皇大神宮、鉱山近くに山神社があり、いずれも離村後は京極八幡神社に合祀されてゐるといふ。(4)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

写真2 二の鳥居
写真2 拡大 (1280×960)

二の鳥居

右は社務所

鳥居の手前、左方向に碑があり次のやうに刻まれてゐる。「皇紀二千六百年 聖戦參加記念 陸軍中将 正四位勲ニ等 山下泰文書」

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

階段を登り切ったところ

狛犬は、「初老記念 昭和十八年度初老会」とある
灯籠は「皇紀二千六百年 世紀慶祝記念」とある

写真4 社殿正面
写真4 拡大 (1280×960)

社殿正面

写真5 社殿側面
写真5 拡大 (1280×960)

社殿側面

写真6 拝殿内
写真6 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真7 忠魂碑と建物
写真7 拡大 (1280×960)

忠魂碑と建物

忠魂碑の台座には126名の氏名が記された額が掲げられてゐる。

建物は、不明ながらも旧社殿かも?

写真8 境内から見た羊蹄山
写真8 拡大 (1280×960)

境内から見た羊蹄山

南西方向に見える。蝦夷富士とも。高さ1898m。

御朱印
御朱印 拡大 (486×640)


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.420
  2. 令和2年10月9日閲覧 ダム便覧 京極ダム
  3. 令和2年10月9日閲覧 北海道電力 京極発電所
  4. 令和2年10月9日閲覧 ウィキペディア 京極町
  5. 令和2年10月9日閲覧 村影弥太郎の集落紀行脇方

改訂記録
  • 令和06.03.16 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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