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京極八幡神社 (北海道〈後志〉京極町)
参拝日 令和元年9月20日(金)
作成日 令和2年10月10日(土) 追記日 令和6年3月16日(土) |
きょうごく はちまん じんじゃ
| 〈後志管内〉京極町京極621番地 (42度51分23.73秒 140度53分13.52秒)
| 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| ・北海道神社庁 北海道の神社 京極八幡神社
| 祭神
| 応神天皇(おうじんてんのう)
| 大己貴命(おおなむちのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 保食神(うけもちのかみ) 埴安姫神(はにやすひめのかみ) 元 村社 | 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)。
雑記
| 京極町役場から南東へ300mの所にある。鉄道の最寄駅は、函館本線の倶知安駅で、当社から西北西へ11km(道程15.3km)離れてゐる。 | かつて胆振線が通ってゐた時は、京極駅が当社から北北西へ1.3km、役場からは1.0kmの所(ワッカタサップ川右岸)に、東京極駅が役場の東北東0.7kmにあった。 境内に、「創祀百年鎮座趾」の碑がある。背面には、「掲示三十一年四月二十五日 京極農場開拓鎮護の為創祀 平成九年八月五日 鎮座百年記念社殿造営遷座」とある。 地名の由来は、開拓を率いた讃岐丸亀藩主家の京極高徳による。胆振線があったころ「京極駅」の名をみて記憶に残ってゐたが、名の由来は知らなかった。当時、調べるのは容易ではなかった。 同町の名は、近くは、北電が京極に揚水発電所を建設中とのニュースで町の名を聞いてきた。平成26年に営業運転を開始した。最終的には、20万kW×3台で、3号機は令和11年(2029)以降の運転開始を計画してゐる。 原子力発電所が運転可能な場合、夜間電力を利用して揚水できたが、停止してゐる現状ではどの様な電力を利用してゐるのか判らない。余剰電力利用ではなく、揚水のために発電したのなら、無駄が大きいとしかいえない。 発電可能量について考へてみた。191m3/秒で20万kWの発電が出来る(3)。412万m3の水が利用出来ると(4)いふので、発電可能時間は6時間、依って120万kWh。2台運転で3時間。(412万m3÷191m3/秒÷3600秒/時間=5.99(時間))。 原発が運転されるまで、3台目の発電機は無くても良いかも。 京極町の沿革は、(3) ・明治30年 京極高徳が京極農場を開場 ・明治43年 倶知安村から分村。東倶知安村と称す ・昭和15年 京極村に改称 ・昭和37年 町制施行 胆振線の前身、京極軽便線(後、京極線)が大正8年に倶知安-脇方間が開通してゐる。脇方は京極市街地から東へ七八km程の所(駅間は営業キロ7.5km)で、明治31年に褐鉄鉱床(倶知安鉱山、昭和44年閉山)が発見され、鉱石運搬のため鉄道が敷設された。脇方駅一つ手前に京極駅が置かれた。 脇方駅から倶知安・長万部を経由して室蘭(現東室蘭)駅まで運んだ場合、およそ180km、昭和16年に胆振線全線開通後は96kmと半減。 脇方には、昭和44年の1/50000地図には二つの神社があり、鎮守の天照皇大神宮、鉱山近くに山神社があり、いずれも離村後は京極八幡神社に合祀されてゐるといふ。(4) |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) | |
写真1 拡大 (1280×960) 社頭 | |
写真2 拡大 (1280×960) 二の鳥居 右は社務所 鳥居の手前、左方向に碑があり次のやうに刻まれてゐる。「皇紀二千六百年 聖戦參加記念 陸軍中将 正四位勲ニ等 山下泰文書」 | |
写真3 拡大 (1280×960) 階段を登り切ったところ 狛犬は、「初老記念 昭和十八年度初老会」とある 灯籠は「皇紀二千六百年 世紀慶祝記念」とある | |
写真4 拡大 (1280×960) 社殿正面 | |
写真5 拡大 (1280×960) 社殿側面 | |
写真6 拡大 (1280×960) 拝殿内 | |
写真7 拡大 (1280×960) 忠魂碑と建物 忠魂碑の台座には126名の氏名が記された額が掲げられてゐる。 建物は、不明ながらも旧社殿かも? | |
写真8 拡大 (1280×960) 境内から見た羊蹄山 南西方向に見える。蝦夷富士とも。高さ1898m。 | |
御朱印 拡大 (486×640)
| 出典・脚注
改訂記録
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