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真狩神社 (北海道〈後志〉真狩村字社)

参拝日 令和元年9月20日(金)
作成日 令和2年10月20日(火)
追記日 令和6年3月15日(金)
よみ  まっかり じんじゃ  
所在地 〈後志管内〉真狩村字社79 (42度48分2.67秒 140度41分23.77秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 真狩神社
祭神  誉田別命(ほんだわけのみこと)
 大己貴命(おおなむちのみこと)
 少彦名命(すくなひこなのみこと)
 大山積命(おおやまつみのみこと)
 倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
 菅原道真公(すがわらみちざねこう)
由緒  元 村社
 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)。奉納は平成九年厄年一同に依る。
由緒 明治二十九年移住者が協議し北九線九号通りの官林と民有地の境界に仮の小祠を設けて八幡神を祀ったのが創祀である。当時は移住者が地域毎に仮の小祠を建てて郷里の産土神を祀っていたが、真狩村長阿部雄貞の「村内の所々にひそかに祠字を建立し祭事を執行することは法規の厳禁するところで、かえてっ神威を冒漬す第る結果となるので、この際村民は大いに自覚し本村の総鎮守と仰ぐべき一神社内に合祀すべきである」との懇論により村民一統協議の上、各所に点在する小祠を一社に合祀して村の総鎮守とすることとし、明治三十九年九月十二日無格社として創立を許可され、明治四十二年十一月社殿の建築が竣工した。大正七年社殿の改築及び社務所の新築を実施し、大正八年九月村社に列せられ、同九年七月神餞幣帛料供進神社に指定された。昭和二十一年宗教法人となり、昭和三十年九月社殿を改築、昭和四十四年社務所を改築した。

 鳥居をくぐった右手に由緒記碑があり、次の様に刻まれてゐる。(祭神の振仮名は転記略)
由緒記
北海道虻田郡真狩村字社七九番地
一.名称 宗教法人真狩神社
一.祭神
誉田別尊 大己貴命 少彦名命
大山積命 倉稲魂命 菅原道實公
一.由緒
六柱の大神は明治二十六年本村が開拓地となりし草創の際、移住者に於て部落所々に祠宇を建立して舊産土の神璽を斎りありしを、官庁の指示に依り村民一統協議して、処々に點在してありし神璽を、一個所に合祀鎮斉して、永遠に氏神として崇敬して、国ノ隆昌と、村の繁栄と氏子の家内安全を記念する祭祀が執行され今日に至る。明治三十八年七月二十日創立。明治三十九年九月十二日無格社に列格せり、同じく三十九年十一月社殿落成 大正八年九月三十日村社に列格。昭和九年七月七日神饌幣帛料神社に指定される。昭和二十一年七月一日宗教法人令に依る神社設立。昭和二十八年四月十七日宗教法人法に依る神社設立認証される。昭和三十年九月神社拝殿改修昭和四十四年社務所改築
一.例祭  九月十五日 夏祭祭六月十五日
一.境内地 五百坪
一.氏子  真狩村一円
雑記  真狩村役場から北北西へ1.9kmの所にある。北には羊蹄山が聳えてゐる。最寄駅は西北西へ11km弱(道程11km)の函館本線ニセコ駅。
 かつて、植民軌道真狩線があった。狩太駅(現ニセコ駅)と真狩村中心部を結ぶ線で昭和11年全線開通し昭和28年に廃止されてゐる(2)

 境内には、真狩神社改修記念碑がある。碑には、次の様に刻まれ、下部には田端広氏を筆頭に65の氏名が刻まれてゐる。
    昭和参拾年九月拾四日建之
総鎮守真狩神社造営改修竣工記念標
    真狩神社造営改修奉賛会

 『まっかり史跡マップ』(3)によると、昭和30年に真狩神社造営改修奉賛会(田端広会長)が設立されて、拝殿外の改築改修工事が行はれた記念碑といふ。

 このほかに、「山神」の石碑がある。小さいものだが、文字に墨が入れられてゐて、容易に読めた。

 真狩村は、昭和16年に真狩別村から改称して現在名になった。真狩別村は、明治30年に虻田村から分離独立して真狩村戸長役が設置され、狩太村・喜茂別村を分村、大正11年には真狩別村が分村して発足した。尚、当時の真狩村は、大正14年に留寿都村に改称してゐる。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 社頭
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

鳥居は二の鳥居。鉄製で、「建立、平成十四年七月吉日」とある。もう一方の柱には奉納者の名が記されてゐる。旧鳥居は石製だった。
一の鳥居は、ここから南へ400mでその間の参道は桜が綺麗だと云ふ。

写真2 参道
写真2 拡大 (1280×960)

参道

写真左側にある手水舎は「奉献 御手水舎(木造カラトタン屋根葺上) 寄進者村上正男 真狩郵便局長退職記念 昭和四十三年六月三十日」とある。節目に奉納できる関係にあるのは良きこと哉。
手水鉢は、「礎 令和元年」とあり、綺麗な水が湛えられてゐる。

写真3 社殿正面
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

狛犬は大正九年六月三日の年記がある。

写真4 御本殿
写真4 拡大 (960×1280)

御本殿

写真5 拝殿内
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

手水鉢?

右側奥の方に、現在の手水舎が写ってゐる。

御朱印
御朱印 拡大 (1280×960)

御朱印

留寿都神社でいただいた。


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.422-423
  2. 令和2年10月13日閲覧 「むしゃくしゃしてやった今は後悔している」内 殖民軌道/簡易軌道真狩線推定ルート
  3. 令和2年10月12日閲覧 まっかり史跡マップ

改訂記録
  • 令和06.03.15 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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