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狩太神社 (北海道〈後志〉ニセコ町)
参拝日 令和元年9月20日(金)
作成日 令和2年10月20日(火) 追記日 令和6年3月15日(金) |
かりぶと じんじゃ
| 〈後志管内〉ニセコ町字本通218番地 (42度48分2.67秒 140度41分23.77秒)
| 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| ・北海道神社庁 北海道の神社 狩太神社
| 祭神
| 大己貴命(おおなむちのみこと)
| 少彦名命(すくなひこなのみこと) 保食神(うけもちのかみ) 埴安姫神(はにやすひめのかみ) 菅原道真公(すがわらのみちざねこう 元 村社 | 北海道神社庁誌には次の様に載ってゐる(1)。
雑記
| ニセコ町役場から南南東へ0.4km、函館本線ニセコ駅から南南東へ0.9kmのところにある。
| ニセコ駅は、旧称狩太駅とは知ってゐたが、狩太の由来が真狩太に由来するとは知らなかった。結構いい加減なんだな、と思ふが、人々が短縮した言ひ方をしてゐたからそれが採用されたのだらうと思ふと、納得できる。狩太町からニセコ町への改称は、駅名をニセコ駅にしたいが為で昭和39年に改称し、駅名は昭和43年に変更された。 ごく大まかに町の変遷を記すと、 ・明治30年 虻田村から真狩村が分村 ・明治34年 真狩村から分村し狩太村設置。真狩村字真狩太の地名に由来。 ・明治43年 倶知安村の一部(ニセコ他)を併合 ・大正14年 弁辺村(現在の豊浦町)の一部を合併 ・昭和3年 秩父宮殿下がニセコでスキー登山 ・昭和25年 町制施行 ・昭和37年 国鉄が札幌─狩太間の週末スキー列車運行 ・昭和39年 ニセコ町と改称。 ・昭和47年 ニセコアンヌプリスキー場開業(札幌ではオリンピック開催) ・平成後半 外国資本の流入で謂はば「外国人のためのリゾート地」化 開墾碑が建ってゐる(写真9)。碑文は次の通。(漢字は当用の字体に置換えた)
写真には無いが、 ・「大正神社」の碑、小さな石祠の隣に建ってゐる。 ・コンクリートの台座の上に自然石(文字が彫られてゐた模様)と石柱「奉納 木花之開耶姫 鎮座」が建ってゐる。 12時少し前に着いたが、社務所には人影無し。参拝後写真撮影してゐたところ、車がやってきて、お祭の装束の宮司さんが降りてきた。社務所に入られたところで、御朱印をお願ひしたら、遠くから来られてゐるんですよね、と快く対応して下さった。しかし服装はそのまま。用があって一時的に戻ってきたらしい。よほど慌ててゐたのか、左上に墨の汚れができてしまった。でも、返って、印象に残ってゐる。 礼を言って、社頭の方へ行き再び写真撮影してゐたら、もう、車は出て行った。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) |
写真1 拡大 (1280×960) 社頭 社号標は向って右側にあるが旗に隠れてゐる。左側は、「狩太総鎮守」とある(写真6参照) |
写真2 拡大 (1280×960) 社殿正面 |
写真3 拡大 (1280×960) 斜めからみた社殿 |
写真4 拡大 (1280×960) 社殿側面 |
写真5 拡大 (1280×960) 拝殿内 |
写真6 拡大 (931×1280) 社号標は「村社 狩太神社」側面や背面には「官幣大社札幌神社禰宜村井昇敬書」「北海道虻田郡狩太村字本通二百十八番地鎮座」「昭和十二年九月建之 初老記念 柵本勝雄」とある。(札幌神社は、現北海道神宮) 総鎮守標の方は昭和十年九月建之、石鳥居建設費寄付者芳名石、として金額と氏名が刻まれてゐる。 |
写真7 拡大 (960×1280) 五角柱地神塔 |
写真8 拡大 (1280×960) 石柱には三種あり、(1)「北の大神鎮座記念、(背面)本神社ノ天神様ハ故園部正吉ノ奉斎せるモノニシテ昭和九年十一月二十三日合祀ス」、(2)「還暦記念、(背面)昭和十七年九月建之 松尾ゑん」、(3)「紀元二千六百年記念」、の三種。 |
写真9 拡大 (1280×960) 開墾碑 雑記欄の碑文参照。 開墾碑から写真奥(社頭方向)へ向って、地神塔(写真7)、木花之開耶姫 鎮座の碑、八基の石祠(写真8)が写ってゐる。 |
御朱印 拡大 (457×640) 朱印は、村社狩太神社、とあるやうだ。 |
出典・脚注
改訂記録
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