神社訪問記HP > 北海道 > 後志管内 > 小樽市 |
忍路神社 (北海道〈後志〉小樽市忍路)
参拝日 平成30年9月5日(水)
作成日 令和元年12月28日(土) 追記日 令和6年3月31日(日) |
おしょろ じんじゃ
| 〈後志管内〉小樽市忍路1-41 (北緯43度12分35.10秒 東経140度51分42.45秒)
| 地図:地理院地図 いつもNAVI 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
|
HP等
| 北海道神社庁 北海道の神社 忍路神社
| 祭 神
| 大国主命
| 事代主命 市杵島姫命 倉稲魂命 元 郷社
| 北海道神社誌には次のやうに載ってゐる(1)。(適宜改行した)
例大祭には船を使った海上渡御が行はれてゐる。 雑 記
| 函館本線蘭島駅から北北東へ1.5kmの忍路湾奥に面した山の麓にある。小樽市街からは13kmほど離れてゐる。
| 稲荷社は、小樽市内で最古の建築物で津古丹(つこたん)といふ場所に鎮座してゐたお社を、昭和13年に国道工事のために一旦解体され、同15年に現在地に移築されてゐる(3)。津古丹は当社から東南東へ1.7kmのあたりで、国道5号線は海岸沿ひに通ってゐたが、平成30年3月に忍路トンネル開通に伴ひ海岸沿ひの道は廃道となってゐる。落石が多かったらしい。 当地は明治初期には忍路村となり、明治12年には戸長役場が置かれた。明治39年、忍路村、塩谷村、桃内村、蘭島村が合併し新たに塩谷村が置かれその一部となった。昭和33年、塩谷村が小樽市に合併しその一部となった。 神社巡り第四日の二社目。 訪れると、いかにも過疎の町と感じた。途中の道路が立派すぎるのも、さう思はせるのかも知れない。道路は平成30年3月に忍路トンネルが供用されたのに伴ひ、忍路への道路の分岐位置が変り、そこら辺りの道路は新しく綺麗になってゐた。 民謡の江差追分に「忍路高島およびもないがせめて歌棄(うたすつ) 磯谷まで」と歌はれてゐる。高島は小樽駅から北北東へ3km程の所で、忍路と共に積丹半島の東側。歌棄は寿都湾に面した所・磯谷は歌棄から北へ数kmの尻別川河口辺りで積丹半島の西側にある。幕末(安政三年、1856)まで積丹半島の神威岬から先(東方の奥地)へは女人禁制となってゐた時期のことらしい。 明治神社誌料には『安政年間、松浦竹四郎、是の地に来たり、風光を賛す、云く、「(中略)シヤモ泊(湾内)上に稲荷、弁天社数級の石階の上に有、其辺り漁屋多く、其繁花筆の及ぶ処にあらず」(4)とありかつての繁栄が窺へる。 参拝を終へ、次に向ふのは小樽市街の住吉神社。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) | ||||||||||
| ||||||||||
出典・脚注
改訂記録
文頭へ移動 ホーム(神社訪問記)
| |