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忍路神社 (北海道〈後志〉小樽市忍路)

参拝日 平成30年9月5日(水)
作成日 令和元年12月28日(土)
追記日 令和6年3月31日(日)
よみ  おしょろ じんじゃ  
所在地 〈後志管内〉小樽市忍路1-41 (北緯43度12分35.10秒 東経140度51分42.45秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 忍路神社
祭 神  大国主命
 事代主命
 市杵島姫命
 倉稲魂命
由 緒  元 郷社
 北海道神社誌には次のやうに載ってゐる(1)。(適宜改行した)
由緒 延宝二年(1674)忍路場所請負人西川伝右衛門が勧請し、元禄二年(1689)に社殿が創建された。
 明治八年(1875)郷社となり、同十七年に蝦夷大国主神社から忍路神社へ改称と併せて市杵島姫神を合祀する。同二十三年社殿焼失、同二十九年再建、大正元年には忍路村稲荷神社を合祀、同九年十一月十日現在地に本殿を移転すると共に拝殿を再建した。同十年二月神饌幣帛料供進神社に指定された。
 大国主命を祀る神社としては本道で最も古いとされ「蝦夷大国主一の宮」ともいわれてきた。
 拝殿のわきには西川氏の邸内社であった稲荷社があり、嘉永三年(1850)秋田の中島作次郎が建築したといわれ、クギを使わず組立て式で造られた建物。奉納されたものには弁財船に乗ってきた人が奉納した寛保元年からの絵馬が十数枚ある。昭和六十一年六月建てて百年近くになる本殿を原形のままで再建し、往年の姿を残している。
合併により合祀された歴史を持つ御祭神 稲荷神社 倉稲魂命 創祀不明 大正元年十一月一日合祀
 平成祭礼データによると、祭神は「 大国主命・手置帆負命・屋船久々能知命・屋船豊宇気姫命・彦狭知命」と云ふ。手置帆負命・屋船久々能知命・屋船豊宇気姫命・彦狭知命は上棟式に祀られる神なのだと云ふ(2)
 例大祭には船を使った海上渡御が行はれてゐる。
雑 記  函館本線蘭島駅から北北東へ1.5kmの忍路湾奥に面した山の麓にある。小樽市街からは13kmほど離れてゐる。

 稲荷社は、小樽市内で最古の建築物で津古丹(つこたん)といふ場所に鎮座してゐたお社を、昭和13年に国道工事のために一旦解体され、同15年に現在地に移築されてゐる(3)。津古丹は当社から東南東へ1.7kmのあたりで、国道5号線は海岸沿ひに通ってゐたが、平成30年3月に忍路トンネル開通に伴ひ海岸沿ひの道は廃道となってゐる。落石が多かったらしい。

 当地は明治初期には忍路村となり、明治12年には戸長役場が置かれた。明治39年、忍路村、塩谷村、桃内村、蘭島村が合併し新たに塩谷村が置かれその一部となった。昭和33年、塩谷村が小樽市に合併しその一部となった。

 神社巡り第四日の二社目。
 訪れると、いかにも過疎の町と感じた。途中の道路が立派すぎるのも、さう思はせるのかも知れない。道路は平成30年3月に忍路トンネルが供用されたのに伴ひ、忍路への道路の分岐位置が変り、そこら辺りの道路は新しく綺麗になってゐた。
 民謡の江差追分に「忍路高島およびもないがせめて歌棄(うたすつ) 磯谷まで」と歌はれてゐる。高島は小樽駅から北北東へ3km程の所で、忍路と共に積丹半島の東側。歌棄は寿都湾に面した所・磯谷は歌棄から北へ数kmの尻別川河口辺りで積丹半島の西側にある。幕末(安政三年、1856)まで積丹半島の神威岬から先(東方の奥地)へは女人禁制となってゐた時期のことらしい。
 明治神社誌料には『安政年間、松浦竹四郎、是の地に来たり、風光を賛す、云く、「(中略)シヤモ泊(湾内)上に稲荷、弁天社数級の石階の上に有、其辺り漁屋多く、其繁花筆の及ぶ処にあらず」(4)とありかつての繁栄が窺へる。
 参拝を終へ、次に向ふのは小樽市街の住吉神社

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  社号標は「昭和三年七月建之」


写真2


写真3  狛犬は「大正十五年」


写真4  赤い屋根の建物は稲荷社。写真の右側に銀杏の大木がある。


写真5  上の写真の社殿の後方は一段高くなってゐて、社殿がある。奥宮だらうか? 灯籠は明治2年の年記があり中台(火袋の下部分)が逆さ故、倒れた事があったのでは(5)と云ふ


写真6  奥宮? コンクリートの基礎上に建ってゐる






写真7  津古丹稲荷神社 彫刻部分の拡大322kb


写真8  鳥居は「天保十二年」(1841)「支配人佐々木清八」等とある。灯籠には「嘉永三年」(1851)


写真9  忠魂碑。碑の下の石には寄付者名が刻まれ、台石にはめ込まれてゐる金属板には忍路忠魂碑 合祀者名が137名記されてゐる。旧忍路郡出身者とある。


写真10  乃木大将の書故、明治三十七八年役の戦没者を対象に建立されたと思はれる


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.396・397
  2. のりちゃんず 忍路神社
  3. 小樽市 歴史的建造物ガイドマップ p.8
  4. 府県郷社 明治神社誌料 明治45年 上巻 北海道の部 忍路神社
  5. 令和元年12月17日閲覧 北海道の石彫歴史探訪 忍路神社

改訂記録
  • 令和06.03.31 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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