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住吉神社 (北海道〈後志〉小樽市住ノ江)

参拝日 平成30年9月5日(水)
作成日 令和元年12月28日(土)
追記日 令和6年3月30日(土)
よみ  すみよし じんじゃ  
所在地 〈後志管内〉小樽市住ノ江2-5-1 (北緯43度10分57.03秒 東経141度0分8.13秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 住吉神社
 Wikipedia:住吉神社 (小樽市)
 当社HP
祭 神  底筒男神(そこつつのおのかみ)
 中筒男神(なかつつのおのかみ)
 表筒男神(うわつつのおのかみ)
 息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)
由 緒  元 県社、別表神社
 北海道神社庁誌には次のやうにある(1)。(適宜改行した)
由緒 元治元年(1864)、箱館八幡宮神主菊池重賢より「ヲタルナイ」「タカシマ」両場所の総鎮守として、住吉大神を勧請すべく箱館奉行所に出願し、寺社奉行所掛合済みの上、慶応元年六月ヲタルナイ運上屋の最寄りの地へ勧請奉祀することを許された。
 慶応二年、本陣付近に適当な社地の下付方を願い出、幕府はヲタルナイ役所詰の幕吏に命じて小樽港へ入港する諸船に賦役して本陣下の渚汀の埋め立てを行い、社地を造成することとした。
しかし明治維新の改革により社地造成は途中で中止となったため、山ノ上町厳島社に仮奉祀することとし、明治元年御神体は社人加藤右京に護られて箱館を発向し、同年八月三日到着、御鎮座祭ならびに「ヲタルナイ」「タカシマ」両場所の静謐記念祭を執行した。
 同四年厳島社から量徳町28番地に移転、明治八年郷社に列格し、小樽の発展に伴い祭礼は逐年盛大に執行された。
 同十四年の火災直後量徳町道路改正に際し現在地に転地を許可された。従来墨江神社と称していたが明治二十五年一月住吉神社と改称した。明治三十一年六月境内地の増加と社殿の改築の許可を得て、翌三十二年造営がなった。明治三十九年十一月県社に昇格、昭和三十年神社本庁別表神社に指定され、同四十六年七月鎮座百年を記念して社殿を改築した。
 さらに、同社HPの由緒には次の文章がある。
 平成九年鎮座百三十年を記念して、道内最大級の神輿「百貫神輿」の修復。平成十九年鎮座百四十年を記念して、神輿五基・馬車一台を奉安する神輿蔵を建設。
雑 記   函館本線南小樽駅から南西へ0.6kmの所にある。

 訪れた時は、工事中だった。工事の内容は、境内に掲示物によると、

・参道階段三箇所改修工事
・社務所手前手水舎前参道石畳改修工事
・その他の事業(百五十年祭の慶節を期して)
 ・副参道新設工事
 ・鎮座百五十年史(誌)製作
 ・和鞍十二天修復展示
 ・社殿内外の修繕
 ・社務所改修
 ・WiFi環境を整え、鳥居・灯籠・石段等を奉納した先人達を顕彰するデジタル画像を参道で閲覧出来る機能の模索

と云ふ。

 社務所の廊下は、一部分を見たに過ぎないが、内側の庭面は引戸になってゐて、上半分はガラスで採光は良いが一枚板。下半分は板を張ってあるが隙間が見える。冬に吹雪いたら廊下に雪が積りさうだ。社務所前の小樽市による掲示では、昭和九年建築の木造・木造の社務所としては道内最大規模・小樽市指定歴史的建造物、とのこと。英語とロシア語・中国語(繁体字)・韓国語(朝鮮語)の説明文もあった。


 道内神社巡り、四日目の三社目。最後の参拝。道内の別表神社の全社を参拝するとの目的で今回の神社巡りを始めて900km近くを走つて、目標達成出来た。
 住吉神社は参道は通れず、拝殿にも近づけず、不自由で残念だつた。工事が終つたときには見違へてゐるだらう。次の機会を造らなくてはいけないと思ふ。
 参拝を終へ、11時に出発。レンタカーの返却は札幌駅北口、12:30までに。小樽・札幌は交通量も多く事故を起さないやう、時間の余裕と安全運転で行かう。
 ……今晩、地震(3)に遭ふとは思ひもしなかった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2  工事中のため参道は通れなかった


写真3


写真4  参拝所(社務所)


御朱印

余 談
  車を返したあと、母の宅へ札幌駅から鉄道の利用を考へてゐたが、駅に来てみたら、不通。倒木の処理が必要で運行再開の見通しは立つてゐないとのこと。台風21号の被害は思つたより大きいやうだ。 (11月に江別・南空知の神社を巡った。多くの倒木を見た。その時の訪問記は、来年、令和2年3月頃からになりさう)。代替は、バスを初めて利用。時間は掛るが本数は多いし安い。公のインフラを利用出来るバスは有利だな。
 そして、夜、日付は翌6日の午前3時過ぎ。地震(3)(震度5強)で飛び起きた。家中が揺れて大きな音がする。
 落着いてから判つたが、戸棚から何十枚かの食器が飛出して割れてゐた。テレビを付け、厚真町の震度6強(後に震度7を観測してゐたと判明)に驚いてゐたら、停電。ああ、厚真火力が被災したかな、位にしか思はなかつたが、全道で停電だつた。
 少しして近所に救急車が来たので外に出て近所の人と情報交換。
 星空が綺麗だつた。

全域停電日の電力供給量
 北電のサイトの表示を7日23:54に撮影したもの。

 6日の午前9時半頃までには5箇所の水力発電所が稼働してゐたらしい。火力発電所を稼働するには電力が必要なため、水力発電所から供給。また、電力九社(関電は除く、21号の被害大のため)から高圧発電機車の派遣を受けた。なんと、沖縄電力からも派遣を受け7日出発し11日に苫小牧港に着いたと云ふ。(2)
 左図の4時〜9時の当日実績値の1時間値(青棒)と5分間隔値(橙折線)に大きな差がある理由は不明。

出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.385
  2. 令和元年12月20日閲覧 電氣新聞ウェブサイト 北海道胆振東部地震 ─ 全域停電からの復帰
  3. 地震  北海道胆振東部地震のことで、平成30年(2018)9月6日3時7分に発生した。参考:ウイキペデイア 北海道胆振東部地震

改訂記録
  • 令和06.03.30 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。 雑記と余談の「地震」について注釈した(地震の記憶が曖昧になつてきたため)

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