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音江神社 (北海道〈空知〉深川市音江町)

参拝日 平成30年9月3日(月)
作成日 令和元年8月25日(日)
追記日 令和6年4月2日(火)
よみ  おとえ じんじゃ  
所在地 〈空知管内〉深川市音江町二丁目13-5 (北緯43度41分52.01秒 東経142度4分57.55秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 音江神社
 深川市 北海道ふかがわ観光サイト音江神社
祭 神  (由緒欄参照)
由 緒  元 村社
 社頭の掲示には次のやうにある。
音江神社由緒

鎮座地 深川市音江町一丁目十三番五十号
      宗教法人 音江神社
御祭神 大国魂神(オオクニタマノ神)
    大己貴神(オオナムジノ神)
    少彦名神(スクナヒコナノ神)
    天照皇大神(アマテラススメ大神)
    豊受大神(トヨウケノ大神)
    明治天皇(メイジテンノウ)
    昭憲皇太后(ショウメンコウタイゴウ)
境内地 8170.21平方メートル
 当社の創祀は、明治二十四年国見峠の中腹に小祠を建て札幌神社(現北海道神宮)の御祭神、大国魂神ほか二柱神(明治天皇が北海道の守護神として御治定)の御分霊を奉斎したのに始まり、大正十三年民意の求めるところ現在地に神殿を、移し御動座した。
 大東亜戦争の終結により昭和二十一年豊原神社(旧樺太)の御祭神天照皇大神ほか三柱の神々を御動座、平成二年当神社御創祀百年を卜し正式に合祀し現在に至る。
御創祀百二十年奉賛会
平成二十二年九月十日 謹製

 北海道神社庁のwebページには次のやうに載ってゐた(1)
明治24年8月15日、疋田与惣吉・山本弥太郎・高橋惣吉らが中心となり、国見峠の山腹に 小祠を建立し開拓三神を奉斎したことに始まる。これは深川における最初の神社であった。同41年8月、社殿を改築し官幣大社札幌神社と御祭神が同じであったことから、札幌神社より御分霊を戴き社名を音江神社とした。大正8年、村内の各社、小祠を合祀し音江神社の遥拝所と定めている。同13年9月10日、神社が市街地から離れていたので現在地へ奉遷、翌14年から例祭日を8月15日から9月10日へ変更した。同15年、無格社に公認されたのを機に山崎与之助他2名より土地の寄附があり社殿を造営、昭和2年に村社に列せられる。昭和22年1月11日樺太豊平町字豊平に鎮座の県社「豊平神社」の御神体を仮奉安。平成2年創始100年を迎えるに当たり、豊平神社の御祭神(天照皇大神・豊受大神・明治天皇・照憲皇太后)を合祀し、御創祀100年記念祭を執行した。
雑 記  函館本線深川駅から南東へ4.5kmのところにある。
 由緒にある鎮座地住所は、社務所の住所が記されてゐる。社務所の道路を隔てた向ひに鳥居があるので迷ふ事は無い。

 社務所と社殿の間の道を東北東へ1kmほど行くと国見峠で、国見公園がありその一角に国見神社(現在の音江神社)の御神木で推定樹齢120年以上のドロノキの巨樹があるといふ。幹周り3.6mでドロノキとしては最大級とのこと(2)

 狛犬は、「皇太子殿下御降誕記念」「昭和九年六月十五日建設」と、21名の発起人・寄付者名が刻まれてゐる。

 深川市音江町は、嘗ての音江村に由来する。
 音江村は明治42年に成立、昭和38年音江村・深川町・一已(いちやん)村、納内(おさむない)村が合併して深川市の一部となってゐる。地名の由来は、アイヌ語の「オ・トゥイェ・ナイ」(川尻が崩れる川)といふ。

 次の訪問先は、旭川神社

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2  二の鳥居。昭和五十一年九月建立、鎮座八十五周年・環座五十周年記念。コンクリート製。


写真3


写真4


写真5  社務所 鳥居と道路を隔てた向うに、小さく写つてゐる。


写真6  忠魂碑 大正四年十一月十七日建之


出典・脚注
  1. 平成30年8月15日閲覧 北海道神社庁神社データ なほ、該当ページは現存せず
  2. 令和元年9月20日閲覧 道北の釣と旅 深川市を巡る旅・ぐるっと深川プチ観光・アウトドア情報!!内「国見峠の巨樹」

改訂記録
  • 令和06.04.02 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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