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岩見澤神社(北海道〈空知〉岩見沢市)

参拝日 平成30年9月2日(日)
作成日 令和元年8月12日(月)
追記日 令和6年4月2日(火)
よみ  いわみざわ じんじゃ  
所在地  岩見沢市12条西1丁目3番地 (北緯43度11分42.85秒 東経141度46分23.75秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 岩見沢神社
 Wikipedia:岩見沢神社
祭 神  天照大神 (あまてらすおおかみ)
 大己貴神 (おおなむぢのかみ)
由 緒  元 県社
 社頭の掲示には次のやうにある。
岩見澤神社 (鳩丘鎮座元縣社)
一御祭神 天照大神(あまてらすおおかみ) 大己貴神(おおなむぢのかみ)
一御由緒
明治十八年八月今の元町に奉齋したのが始めで、明治十九年社殿造営
明治三十年敬神家石黒長平氏より市街東南方高燥の鳩が丘に1853坪の寄進を受け二代目社殿造営、明治三十九年東向に第三代社殿新築
昭和八年縣社に列格と共に四代目新殿の造営、その正遷座に付ては沛然として降りしきる大雨カラリと霽れ上り、遷御の一瞬全町電燈を滅し 浄暗の裡に神殿に御遷座町民一同御神威を畏こみ、御神徳の弥々高きを仰ぎ崇拜を深くしている
一御敬神
天皇陛下奉幣  昭和十一年九月二十六日本道御巡幸の砌り幣帛を御奉納あらせらる
閑院宮殿下 大正十五年九月八日鳩が丘グラウンドで開催の全道青年大会に御成りに際し御会釈を給わる
北白川房子内親王 昭和二十七年八月十六日神宮祭主としてご参拜
一御祭典 五月十五日 春祭
市街南方高台に位する13400平方メートルには数種の桜が常緑樹と調和し、森巌の苑として一入敬虔の念に打たれる 東西一帯の窪地は東山総合公園として市民の広場、スポーツセンター、各種競技場、温水プール等設備され市勢の発展に伴い、鎮守の森は今や市街の中央に位するようになった 尚境内には開拓記念碑(市文化財指定)、樹齢八百年のオンコ、双立トド松(共に市の名木指定)、緑地保存指定標、開拓の昔をしのぶ雲烟閣の碑等があり、九十年の郷土の歴史が積重ねられた心のふるさとである
   昭和五十年五月十五日
宮司 植田 昇記

 「創祀百年」碑碑文
碑文
明治十七・十八年山口・鳥取外十県の士族二百七十七戸千五百三人が入植岩見沢開拓の鍬をふるい、翌十九年元町畑一番地に小祠を建立初の秋祭を斎行したと伝う。爾来先輩氏子祭り承け継ぎ大火のため明治三十年現在地に遷り本年創祀百年を迎う。ここに奉賛会を結成し氏子の総力を挙げ記念事業の社殿・社務所の改築をすすめ今般次の世代に引き継ぐ昭和大造営が完工せしことを慶びこの碑を建つ。

 昭和六十一年八月五日
  奉祝百年大祭斎行の日
岩見沢神社創祀百年記念奉賛会
宮司 植田 昇書
雑 記  函館本線岩見沢駅から南西へ1.6kmのところにある。
地名「岩見沢」の由来は、市web(1)によれば、
 明治11年に幌内煤田を開採のため、開拓使は札幌〜幌内間の道路を開削に当たり、工事に従事する人たちのため、当市の北部、幾春別川の川辺に休泊所を設け、ここで浴(ゆあみ)して疲れをいやしたといわれています。
 当時の人々にとって、この地は唯一の憩いの場所として、「浴澤」(ゆあみさわ)と称するようになり、これが転化して「岩見澤」(いわみざわ)と呼ばれるようになったといわれています。
といふ。

 近年、岩見沢市域が合併によって拡大してゐる。経緯は、明治17年岩見沢村設置 明治25年栗沢村を分村 明治33年北村を分村 平成18年栗沢町・北村を編入合併 となってゐる。


 当社から一連の参拝社は、北海道の26社で、千歳空港で車を借り、三泊四日で巡ったもの。
 道内では、別表神社三社が未参拝のため、旭川の上川神社、函館の函館八幡宮、小樽の住吉神社の参拝を必須として、主要な神社を可能な範囲で巡り、940km走って帰着した。三日目の夕方から翌未明には台風の襲来があったものの無事帰り着いた。その日の夜、寝静まった午前三時過ぎに震度5強の地震(北海道胆振東部地震、厚真では震度7)と全道停電に見舞はれた。救急車が近所に来たので外に出て様子を見た。月明りで人の顔も判る程だったが、星空が綺麗だった。まだ10代のころだったが、月の無い夜道を足下に不安を感じながら歩いてゐた時、星は見入りたいほど明るかったのを、思ひ出した。
 強震の経験は、昭和43年に十勝沖地震、平成23年に東北地方太平洋沖地震につぐ三度目の経験だった。十勝沖地震の際は日中だったが、膝が震える程の恐怖だった。それ以降の地震は、安全確保の行動はするが、それほどの恐怖は感じてゐない。揺れの中心から離れてゐたのが幸したのだらう。昨年の地震では東日本大震災で計画停電の経験も役だったかもしれないが、水とガスは供給されたから困窮はしないですんだ。令和元年8月に乗ってゐた飛行機が偶々厚真町上空を飛んだ。広い範囲で山肌に樹木が無くなって崩れてゐる。嘗て参拝した神社も被害を受けてゐるやうだが、詳細は判らない。飛行機の窓越しなので、国土地理院のサイトで閲覧できる空中写真のやうにくっきりとは見えないが、自分の目で見て、被害の深刻さが伝はってきた。
 さて、神社巡り一日目。旭川方面へ向ひ、当社のほか、空知神社砂川神社滝川神社を参拝した。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真7  御本殿


写真4  境内社 水神龍宮


写真5  忠魂碑


写真6  海軍鎮魂之碑


御朱印


出典・脚注
  1. 令和元年7月27日閲覧 岩見沢市web内 地名の由来

改訂記録
  • 令和06.04.02 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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