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栗澤神社 (北海道〈空知〉岩見沢市栗沢)

参拝日 平成30年11月2日(金)
作成日 令和2年5月24日(日)
追記日 令和6年3月25日(月)
よみ  くりさわ じんじゃ  
所在地 〈空知管内〉岩見沢市栗沢町幸穂13番地 (43度7分7.31秒 141度44分48.70秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  北海道神社庁 北海道の神社 栗澤神社
祭 神  天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
 応神天皇(おうじんてんのう)
 大國主命(おおくにぬしみこと)
由 緒  元 郷社
 北海道神社庁誌には次のやうにある。(1)
開拓の鍬がおろされ、戸口がふえて近在の人々が話を交わす機会が出来てくると、きまって話題になるのが、遠き故郷の神社のことであった。当地は、滋賀県からの開拓移住の団体が始まりで、必成社農場の地であり、その事務所跡地に、滋賀県知事の贈名により「幸穂神社」として、明治三十年に創立された。その後、明治四十五年に栗澤神社と改称し、現在に至る。
雑 記  室蘭本線栗沢駅から東南東へ0.6kmの所にある。明治27年開業時の駅名は清真布(きよまっぷ)駅。

 栗沢は明治25年に岩見沢村から分村し、昭和24年町制施行し、平成18年に栗沢町は北村とともに岩見沢市と合併(編入)し、岩見沢市の一部となってゐる。

 栗沢町史には当社草創の頃の創祀・合祀・遷座について次のやうに記してゐる。(2)
 栗沢神社の境内地は元必成社事務所のあったところである。必成社の農場経営は明治二十六年にはじまり、同三十年頃には農場も市街地も人煙ようやく濃くなり、ここに神社建設の議が起って創立委員として農場事務所からは笠原元次郎、市街からは小沢栄松・須原金次郎、農場からは岩崎八郎平・小林惣次郎・西川外次郎・高山市左衛門・石田半蔵・松重卯一・奥田松衛門・奥田寅三・神内梅太郎・長尾兼治らを挙げて計画し、明治三十年二月十日本殿の建築にかかり四月十一日落成した。その工事費に一〇〇円と、ほかに付属道具費五〇円を要した。境内の手入れは氏子の出役によって行ない、玉垣も氏子の寄進により、境内の美と社殿の荘厳さは当時においては近村にその類がなかった。社名は滋賀県知事の贈名により「幸穂神社」と名づけ、祭神は近江長浜町の県社八幡神社の分霊を祭る計画であったが間に合わず、まず札幌神社より大国主命の分霊を受けて明治三十年四月十二日遷座式を行ない、同月十四、五の両目盛大な祭典を執行した。越えて明治四十年九月にはさらに拝殿一二坪を造営し、同年十一月長浜町八幡神社祭神応神天皇の分霊を受け、翌四十一年九月九日正遷座した。(応神天皇合祭の正式許可は明治四十五年六月二十五日である)
 幸穂神社の所在地は村行政の中心地でもあり氏子たちは社格のある栗沢村総鎮守の神社としたい念願で、基本金の積立諸什器調達を行なって社寺法による社号の公称を出願したが、村内にはすでに産土神として社格を有する栗部神社があったし、その他事情もあって許可にならなかった。
 栗部神社は明治三十四年八月九日無格社として公称認可を得た神社であるが、村の一隅に所在し、村総鎮守としては適当な場所ではなかった。そこで幸穂・栗部両神社の関係者協議を重ね、栗部神社を清真布に移して幸穂・栗部両神社の祭神を合祭し、社名を栗沢神社と改称することに決定したので、明治四十四年九月十一日栗部神社祭神天照皇大神を幸穂神社に遷座した。しかし手続上は幸穂神社は社格を有していなかったので、栗部神社の所在地を清真布に遷し、栗沢神社と改称して、幸穂神社の祭神を合祭することを願出て、明治四十五年六月二十五日許可せられ、ここに無格社栗沢神社が生まれたのである。


碑は次の物があった。
  • 「忠魂碑」 希典書 灯籠一対
  • 「移轉合祀記念」碑 大正十年九月十九日建之 碑文は170文字ほどの漢文
  • 栗澤村 土地組合 「墾田之碑」 農学博士 安藤廣太郎書、碑文は次のやう。 漢字は当用の字体に置換えた。平易な表現で、刻まれた文字は明瞭で読みやすかった。
    本組合地区ハ栗沢村原野ノ内肥沃ノ地一千五百町歩ヲ包 含ス其ノ開拓ハ明治二十三年ニ始リ爾来畑作ヲ連続セル 為地力減耗ヲ来シタルト村将来ノ為夕張川ニ於ケル水利 灌ノ確保ヲ痛感シ明治三十六年ノ頃前途ヲ憂慮セル本田 栄三郎氏ハ水田ニ開発スルヲ最善ノ策ナリト確信シ之ヲ 村会議員並ニ有志者ニ謀リ北海道庁ニ陳情スル等日夜寝 食ヲ忘レテ努力セラレ明治四十一年十月二十二日関係地 主大会ヲ開キ其ノ期成ヲ決議シ委員ヲ挙ゲテ適切ナル調 査方ヲ申請シ半歳ニ亘リ精密ナル実測設計ノ結果引水可 能ナルヲ確メ土巧組合設立ヲ企図スルコトトナレリ
    茲ニ於テ本田栄三郎山田勢太郎河路重平ノ三氏ヲ創立委 員ニ挙ゲ組合設置ノ申請ヲ為シ明治四十三年一月三十一 日腸管河嶋醇閣下ヨリ認可セラレ金七万七千円ノ地方貸 付資金ト金一萬圓ノ地方費補助ヲ得組合員欣喜シテ工事 ノ実施ニ着手シ第一期計画一千町歩二対スル灌漑施設ハ 明治四十五年三月其ノ完成ヲ見同年五月八日幹線延長五 千百七十四間ノ初通水ヲ行ヒ越ヘテ第二期工事ハ大正四 年八月着手シ大正六年三月ヲ以テ竣成シ新ニ三百町歩ヲ 加ヘタリ次デ揚水機ニ依ル二百町歩ノ拡張ハ大正十二年 度ニ於テ竣工シ前後総工事費三十四万三千余円ヲ投ジテ 当初計画ノ二千五百町歩造田ノ完了セリ
    顧フニ此ノ計画以来四十年組合設置ヨリ三十余年間幾多 ノ困難ニ遭ヒシモ不撓不屈素志を貫徹セルハ実ニ前記三 氏ヲ始メ役職員議員組合員ノ至誠一貫セル労苦ノ多大ニ シテ最近年額三萬石ノ良米ヲ生産ス今ヤ創立三十年ニ当 リ茲ニ記念碑ヲ建テ其ノ功績ヲ後昆二伝フルモノトス
     昭和十六年十一月
      元北海道庁事務官従六位勲六等高井幸次郎撰並書
      注 河路重平は必成社の社長
  • 大東亜戦争終結五十周年 「慰霊・平和祈念の碑」 栗沢町長 山田晃睦謹書
  • 「馬頭観音之碑」 昭和四十七年九月建設 馬事愛好会
  • 「家畜報恩之碑」 昭和五十一年十一月吉日 栗沢町畜産振興会 建之

    その他
  • 鳥居  鎮座七拾周年記念 昭和四拾貳年九月吉日建之
  • 灯籠  御大典記念 福井縣出身 永井ゆか 昭和三年十一月十日
  • 社号標 栗澤神社 (埋められた跡あり:栗澤村總鎮守 郷社 ) 昭和十年六月一日建之 岱青 當山春三謹書
  • これらの他、灯籠二対、狛犬一対、手水鉢、鳥居があった。地神塔・さざれ石・神馬像・靜念の池碑もある(3)らしいが見落した。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


写真5  忠魂碑。左の碑は大東亜戦争終結五十周年 慰霊・平和祈念の碑。


御朱印


出典・脚注
  1. 『北海道神社庁誌』北海道神社庁 平成11年 p.456-457
  2. 『栗沢町史』昭和三十九年 p.586-587
  3. 令和2年5月20日閲覧 石屋の神社探訪 栗澤神社

改訂記録
  • 令和06.03.25 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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