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栗山天満宮 (北海道〈空知〉栗山町)
参拝日 平成30年11月3日(金)
作成日 令和2年5月30日(月) 追記日 令和6年3月24日(日) |
くりやまてんまんぐう
| 〈空知管内〉栗山町桜丘2丁目32番地 (43度3分49.65秒 141度46分49.96秒)
| 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) 参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
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HP等
| 北海道神社庁 北海道の神社 栗山天満宮
| 祭神
| 菅原道眞公(すがはらのみちざねこう)
| 元 村社
| 北海道神社誌には次のやうに載ってゐる(1)。
雑記
| 室蘭本線栗山駅から北西ないし北北西へ0.7kmの所にある。
| 栗山町は、明治21年に仙台藩士(角田石川家中)の夕張開墾企業組合の24名入植に始る。明治23年に角田村と公称、昭和24年の町制施行時に栗山町に改称してゐる。当町と南幌町・由仁町と合併協議し「東さっぽろ市」として合併協定書に調印したが、他町の住民投票での否決を受け、合併は実現しなかった(1)。 私的には「東さっぽろ市」といふ可笑しな名前が出来なくて良かったと思ふ。さう云ふのは鉄道の駅に限ってほしい。 境内には、石碑等は次のものがあった。 ・高山金作氏之像 空知種苗(株)を興し地域の発展に力を尽し、栗山天満宮の造営に当り総代長として念願の造営に当ったといふ。昭和四十五年建立。 ・「製麻報国物故者慰霊碑」 紀元二千六百年記念 昭和十五年十一月 ・「鳥居由緒」碑 碑文:本鳥居の原型は福岡県太宰府天満宮御神前に現存する鎌倉末期新田大炊介の寄進の伝えられる雄輝にして優美なる文化財指定鳥居の形態をかたどり敬神の念篤き小笠原治郎大人の心願に依り奉納されたものであります 昭和四十四年九月吉日 太宰府天満宮菅神孫裔 第三十八代宮司菅原信貞 ・社号標 栗山天満宮 昭和四十三年五月吉日 八十三翁二代小林米三郎 狛犬一対、灯籠、手水鉢・手水舎はよく見て来なかった。御神輿庫もあった。 先を急いでゐたけれど、栗山公園のSLを見に行った。 栗山公園は当社敷地の北に接して在る。蒸気機関車は、夕張鉄道で走ってゐた9600形21号機、自社発注で昭和16年に製造され、廃線の昭和50年まで使用されてゐた。栗山駅は夕鉄の駅でもあった。夕鉄の最盛期には年間180万トンの石炭が運ばれたといふ。 この文章を書くに当り、夕鉄の線路が何処を通ってゐたのか、現在の地図上で確かめてみた。山地の部分は地図を見ても判らないと思ってゐたのが、豈図らんや土崖記号を辿ってゆくとほぼ判るとは。錦沢のスイッチバックも三本の土崖記号が描かれてゐる。栗山以西は以前から道路の形が一目で線路跡とわかるので何ら苦労なく特定できてゐた。今回は自分にとって新たな発見だった。 乗車経験は片手ほども無く、一桁の年齢の時だが、どうして同じ所を行き来してゐるのだらうと不思議がってゐたほど無知だったのも思ひ出される。 15時30分頃、次の目的地、越後神社に向けて出発した。道程22.4kmの予想、写真の撮れる明るさの内に着きたい。(11月1日の札幌の日没は16:27) |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) | ||||||
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出典・脚注
改訂記録
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