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由仁神社 (北海道〈空知〉由仁町)

参拝日 平成30年11月1日(木)
作成日 令和2年2月15日(土)
追記日 令和6年3月27日(水)
よみ  ゆにじんじゃ  
所在地 〈空知管内〉由仁町本町330番地 (42度56分55.59秒 141度48分7.57秒)
 地図:地理院地図
    いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 由仁神社
祭 神  天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 大己貴神(おおなむちのかみ)
 誉田別尊(ほんだわけのみこと)
由 緒  元 郷社
 社頭の掲示には次のやうにある。
由仁神社要記

一、祭神
 天照大御神
 大己貴神
 誉田別尊
一、由緒
 明治二十五年由仁村を置かるると共に同年九月十一日今の三区消防分遣所あたりに小祠を建て奉斎す
 明治三十年十月市街西方高丘の地に二代目社殿を営み公式手続を進む
 明治三十六年無格社として公認せられ明治四十四年村社に列す
 大正六年現在地に三代目社殿を造営し大正十三年郷社に昇格す
 昭和二十一年団体神社として登記し昭和二十八年三月法公布により法人神社として継承登記完了し昭和五十三年四代目社殿造営平成二年社務所を新築す
一、社殿
 本殿一.五坪 祝詞殿三.七五坪 幣殿七.五坪
 拝殿二十坪 神輿殿六坪 社務所六十五坪
 倉庫十二坪 車庫八.三五坪
一、土地
 境内地 11811坪 飛地境内 300坪 構内地 1530坪 山林 2047坪

 境内にある「鎮座百年碑」碑文は次のやう。
碑文

 由仁神社は、由仁開拓の守護神として明治二十五年諸橋亀吉、長谷川弥市、吉崎良亮等により創立された。
 明治三十七年発起人会を設置し諸手続を経て内務省、北海道庁より設立認可を受け、以後佐藤宇八初代社掌となり神社財産の取得、境内の整備を行い明治四十四年村社に列せらる、大正十三年には郷社に昇格しこの地方一般の尊崇を蒐め隆昌したのであります。
昭和二十年以降神社経営の形態が変わり佐藤智久二代宮司が由仁神社氏子連合を組織し経営の安定化に勤め現在の基礎を強固なものにし、又境内の整備、植林に力を注ぎ立派な境内林となるは二代宮司の功績であります。昭和五十三年に現社殿の造営をし平成二年に社務所の建設を完成させました事は由仁神社氏子各位の協力の賜のと感謝申上げます。
 今般創立百年記念大祭を齋行するに当たり鎮座百年碑を建立し創立以降偉大なる先人を始め氏子総代、氏子区長に感謝の誠を捧げます。
 今後は貴い先人達のご苦労に報いる為一層努力し由仁町が益々発展し、氏子各位の健康と弥栄を祈念するものであります。
  平成五年十一月吉日
由仁神社宮司 手塚裕恒 

 由仁町史には四ページに渡り由仁神社の記載がある(1)。上の社頭の掲示や鎮座百年碑に載ってゐないことなど、引用する。
沿革 明治二十五年二月、由仁村が開村され、それにともない、総代人諸橋亀吉・長谷川孫市・発起人吉崎良亮の努力により、夕張郡開拓総鎮守「夕張神社」(2)の小祠として発足した。
  中略
明治四十四年十二月一日に、山形八幡神社が創立、伏見にも八幡神社が出来たが明治四十四年十二月に由仁神社に合祀する。
  中略
 その他、秋の大祭の折の御神輿渡御については、各部落が年番として奉祀しているが、大名行列のみ下古山部落の特別奉仕として伝統的な存在となっている。
雑 記  室蘭本線由仁駅から北西へ0.5kmの所にある。

 社殿背後の山の方には倒れた樹木がそこかしこに見え、台風被害の大きさを感じた。そのせいか、境内の石像物等の見学には、注意が不足したやうで、写真を撮り忘れてゐたりした。記録してきたのは次のやう。
  • 由仁村開村記念碑:明治四十二年四月
  • 忠魂碑:陸軍大将子爵大迫尚敏書・大正五年八月十五日建設
  • 戦没者慰霊の碑:題は「鎮魂」町村金五謹書、由仁町遺族会・昭和五十四年八月、約130名の氏名記載あり
  • 狛犬:社前の一対のほか、手水舎近くにある一対の狛犬(昭和44年建立)は青銅製と思へたが、しげしげとは見なかったので確信は無い。
 当社の石像物については、石材店のサイト内由仁神社が詳しい。

 御朱印を頂いたときに宮司さんに伺ったところ、9月の台風による倒木が多かった、神社の森は公園として町の管理となってゐるため手が付けられなく立入り出来ない、とおっしゃってゐた。
 参道入口の鳥居手前右手には、元の由仁小学校。学校にうかつに入ると犯罪者になりかねないからパス(正直なところは、雨あがりで足下が悪かったし、先を急いだから)。人口減少してゐるのだらうと想像してゐた。後日調べたら、市街中心部の旧由仁中学校に移転(平成23年?)し、平成29年に三川小学校と統合してゐる。学童の人数増減は判らないが、通学の便にはなっただらう。
 14時45分、長沼神社へ向けて当社を発った。西へ向って、道程は7.2km。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  鳥居・社号標は共に昭和11年建立


写真2


写真3


写真4


写真5  拝殿内


写真6  写真左:忠魂碑、右:戦没者慰霊の碑


御朱印  日付が昨日付に。初めての事だ。


出典・脚注
  1. 『由仁町史』 昭和四十八年 由仁町史編集委員会編 p.1194-1198
  2. 夕張神社:現在の夕張神社とは全く別。 松前藩により、夕張川流域(当時は千歳川に合流してゐた)に上ユウバリ場所・下ユウバリ場所が開かれてゐた。現在の夕張市は、明治30年に由仁村戸長役場から登川村戸長役場として独立、明治39年に登川村が発足し、大正7年に夕張町となり、昭和18年に夕張市となった。

改訂記録
  • 令和06.03.27 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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