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作成日 令和元年6月11日 |
よみ | しみずさわ じんじゃ |
(東西 1.13 km×南北 0.84 km) | |
参拝日 | 平成30年5月26日(土) | ||
夕張市清水沢三丁目143 (北緯42度59分47.69秒 東経142度0分34.11秒)
地図:地理院地図 いつもNAVI | |||
HP等 | |||
祭神 | 応神天皇 | ||
由緒 | 神社本庁包括外神社。
夕張市史には次のやうに載ってゐる(1)。
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雑記 | 夕張支線清水沢駅(平成31年夕張支線廃止)から南南東へ250m程の所にある。清水沢ダムは、北東ないし東北東へ1.2kmの所にある。
中学三年生の正月一日に参拝した以来の、凡そ40ぶりの参拝であった。当時は深夜で雪があり御神酒か甘酒の提供があったと覚えてゐる。季節も時間も違ふ上、寂れてしまったから記憶と一致したのは上に登っていったといふ事のみ。今回の神社巡りの主目的が、当社参拝。 社名は、正式には「清水沢八幡神社」と云ふのかも知れないが、これは初めて目にした。清水沢神社としか知らず、神社に関心を持つやうになつてから、祭神は何だつたのか疑問に思つてきたが、北海道神社庁誌・夕張市史で八幡神と知つた次第。だが、拝殿や鳥居の扁額、社殿に掲示されてゐる国有林の借用表示には「清水沢神社」とあるので、この文書では「清水沢神社」とした。 鳥居が道路から直ぐの所にあったのは。記憶に無い。腑に落ちないので当時の空中写真と現在の地図を見比べると、道路が神社側に寄ってゐるのに気づいた。北(鹿の谷・夕張本町方面)へ向ふ道路は清水沢駅前(駅東側)を通ってゐたが、今は西側に道路があってその道路と直角に交ってゐる。どうも、20mほど寄ったやうだ。 当社から、北東ないし東北東1.2kmには清水沢ダムがあり、清湖町への道となつてゐる。清湖町は、嘗て木造平屋や鉄筋コンクリート造り4階建ての炭住や、北海道立夕張療養所(結核患者対象、昭和28年開所)があったが、今は炭住も療養所(昭和58年廃止)も無く、更地になり、今は大きな木も生へてゐる。ダムは、夕張川をせき止め発電用及び上流の大夕張ダムの調整ダムとして使はれてゐた。現在はシューパロダムの調整ダムとして利用。ダム下流には大きな岩があり頂上に弁天様がある。下の写真にあるが、カメラの性能上目一杯のズームで撮影したもので、弁財天が彫られてゐるやうに見える。 |
写真 | |
社殿後方から撮影 | |
向拝の扁額と、一対の狛犬。狛犬は昭和二年九月十五日奉納 | |
参道上から見下ろす | 清水沢ダムと下流の鐘ヶ淵、清湖町側から撮影。ダムは昭和13-15年に北炭が建設した。 |
この岩は、取壊す案もあったらしい。弁財天がある。 | 弁財天(カメラの限界だ) |
脚注
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