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沼ノ沢神社 (北海道夕張市沼ノ沢)

参拝日 平成30年5月26日(土)
作成日 令和元年6月15日(土)
追記日 令和6年4月5日(金)
よみ  ぬまのさわ じんじゃ  
所在地  夕張市沼ノ沢34 (北緯42度59分0.40秒?東経142度0分26.20秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  ─
祭 神  誉田別尊
由 緒  夕張市史には次のやうに載ってゐる(1)
沼の沢神社  明治三十五年九月沼の沢一部高台(現高木氏宅付近)に祭られていたが翌三十六年ごろ七部に移つされ、森田仁三郎らが中心となって八幡社の祠を建立した。当時この神社は単に七部だけのもので部落会長が移転するたびこれにつれて祠も移った。
 明治四十五年九月現在地に遷座、沼の沢神社と称したが、七部では八幡社が移ったあと現加藤氏宅に稲荷社を祭った。
 大正十三年八月十四日宮大工藤村福三郎によって新しい社殿が建立され、十五年十一月鳥居が建てられたがこれは夕張で最初の石造り鳥居といわれている。(祭神誉田別尊、例祭九月十四日、十五日)
 昭和三十四年四部にあった相馬神社(相馬大明神・天之御中主大神)を合祀したが、同神社は大正四年ころ四部の佐藤金六が教理郷里福島県の相馬神社(妙見社)を招き、畜産に関係深い馬頭観世音菩薩を祭っていた。
 昭和四十八年九月十四日町内より950万円の寄付を仰ぎ社殿・社務所計40平方メートルを新築建立した。

 「沼ノ沢神社百年記念碑」があり、碑文には次のやうに刻まれてゐる。
碑文
当地開拓の守護神として明治三十五年九月農地一部高台に建立以後七部に移転 大正元年九月現在地に遷座 装置百年に当り神社氏子一同建之
  平成十四年九月吉日
雑 記  夕張支線沼ノ沢駅(平成31年4月1日廃線・廃駅)から南南西へ0.3km、石勝線新夕張駅からは北北西へ3.1kmの所にある。

 忠魂碑がある。碑に刻まれた誌文によると、大正十年七月在郷軍人沼ノ沢分会設立忠魂碑を六部公園に建立、昭和二十八年七月忠魂碑を六部公園から沼ノ沢神社境内に移設、平成七年八月忠魂碑台改修除幕式終戦後五十周年記念式挙行、とある。また、六十数名の戦没者名・階級・戦没年齢・戦没年月日・戦没場所が刻まれてゐる。
 他に、「青馬之墓」(大正元年八月と刻まれてゐる)、双体道祖神、「馬頭観世音」がある。 馬頭観世音は遺族会により平成七年に台座改修されてゐて「沼ノ沢開基以来の農耕馬 製材馬 戦没馬 炭鉱馬 運搬馬 の霊よ安らかに」と刻まれてゐる。

 狛犬は「昭和十三年四月二十九日 日支事変戦勝記念」とある。

 沼ノ沢と云へば、夕張メロン。沼ノ沢、と連想するのは夕張の人だけか? 温室やトンネル栽培をしてゐるのをよく見る。
 昭和35年に協同組合結成、昭和36年「夕張メロン」誕生といふ。私が初めて夕張メロンを食べたのは昭和43年8月で、両親や祖父、数人の親戚と半分に割ったのをペロッと食べたのは今でも覚えてゐる。関東でも「良」「優」クラスなら1000円余で手にできるやうになった。熟し具合を今日か、明日かと、色を見たり、香りを嗅いだり、軽く押したり、と吟味するのも楽しい。ただ、夕張から送られてくるメロンと、近所の店で購入するのとでは味が違ふ気がする。
 毎年、初競りでは高額な落札価格でニュースにもなるが、今年(令和元年)は5月24日に行はれ、開始と同時に500万円(2玉)の手が上がり一気に競り落とされた(2)、と云ふ。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真4


写真5  向って左に忠魂碑、右手前に青馬之墓、双体道祖神、奥に馬頭観世音


写真6


出典・脚注
  1. 増補改訂 夕張市史 下巻 昭和五十六年三月発行 第三節 各地区神社 p.625-626
  2. 令和元年6月14日閲覧 JA夕張市 トピックスブログ - 夕張メロン初セリ2019

改訂記録
  • 令和06.04.05 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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