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上士幌神社 (北海道〈十勝〉上士幌町)

参拝日 令和3年5月30日(日)
作成日 令和3年12月11日(土)
改訂日 令和6年2月21日(水)
よみ  かみしほろ じんじゃ  
所在地 〈十勝管内〉上士幌町字上士幌東四線243 (43度14分12.72秒 143度18分8.52秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。(最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 上士幌神社
祭神  大國魂神(おおくにたまのかみ)
 大那牟遅神(おおなむちのかみ)
 少彦名神(すくなひこなのかみ)
 五百筒磐石神(いおづついわむらのかみ)
由緒  元 村社
 北海道神社庁のweb頁には次の様に載ってゐる(1)
由来
上士幌町の開拓の祖である安村治高丸が、明治40年小作農家10余戸と共に移住をし、郷里である富山県早星村に小作人の1人である高木太助を遣わし、早星神社の御祭神「五百筒磐石神」の御分霊を奉斎したのが大正2年2月のことであり、これを創祀とする。当時は現在のように交通機関が発達していたわけでなく、山を越え海を渡りこの上士幌にたどり着くまで高木太助は拝受した御霊代を自分の背中にくくりつけ、船の中でも不眠不休でお護りをし、自分の任務を果たした。その後、現在地に社殿を造営、昭和12年5月15日付けで無格社として創立許可を受け、昭和17年9月3日付で村社に昇格した。昭和27年3月27日付をもって宗教法人法による法人に認証された。昭和10年に造営された社殿も、老朽化が激しく、昭和52年に御造営の決議がなされ、昭和54年12月に神明造りの現在の社殿が竣工している。平成5年に御創祀八十周年事業として、参道改修・神輿殿新築・授与所新築・車庫新築、事業費36,000,000円にて完成。又、昭和29年に建設された社務所についても改築の意見が出、平成9年に社務所改築事業奉賛会を設立し、総事業費1億円を要し、平成12年8月31日、171坪(566u)の社務所が完成。現在に至る。
雑記  最寄の鉄道駅は帯広駅で南ないし南南西(193°)へ36kmの距離にある。国鉄士幌線上士幌駅が大正十五年に開業し、当社から南西(233°)へ1.3kmの所(2)にあったが、昭和62年3月に士幌線廃止に伴ひ廃止された。昭和6年から昭和24年の間は北海道拓殖鉄道の駅でもあった。
 詳細不明だが、王子製紙専用馬車鉄道も上士幌駅を起点としてゐた。

 当社では、御朱印の授与があると思って、17時までに行かねば、と雨の中を走ってきた。参拝後、社務所へ行き、扉が重いと云ふ表示を見て、少々力を入れたが動かないので鍵が掛ってゐるとのか思った。疑問が残ったが、力を入れすぎてもいかがなものかと、それ以上は追求しなかった。
 境内を見学し写真を撮ってゐる内に17:00になり、社務所の奥の方で物音がして車が出て行った。
 ……もっと力を出せば良かった。せっかく待機されてゐたのだから。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

社頭

社号標は背面に「昭和十年九月十八日建之 第一区累代区長 氏名(七名) 鈴木○○謹書」とある。
鳥居は柱に「奉納 佐藤治郎七 昭和五十四年九月吉日」とある。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

鳥居をくぐってすぐの左手にある。

一つは、「上士幌神社 造営記念碑」。背面には寄付者の名が刻まれてゐる。金額や字体からみて昭和10年社殿造営時のものだらう。筆頭は「金五百圓 王子製紙會社」、多額寄付者には社号標奉納者と同じ名がみえる。
一つは、「上士幌神社 御創祀百周年記念」碑、碑背に「平成二十六年四月二十日」とある。
灯籠は、昭和六十年三月 の年記と奉納者名が刻まれてゐる。

石材について 昭和十年の造営記念碑、灯籠、社号標、階段上の灯籠の石は、札幌軟石(支笏溶結凝灰岩)(3)様で、ここまで運ばれて来たのかと感心する。凍上しづらく、風化にも強いと云ふ。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

向って正面の右側に絵馬掛けが設置されてゐる。絵馬は、一瞬しゃもじかと思ったが気球の形と判った。全国で熱気球飛行が行はれてゐるが、上士幌町はバルーンのふるさと、とも云はれてゐる。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

社殿の後方から撮影

写真6
写真6 拡大 (1280×960)



写真7
写真7 拡大 (1280×960)

階段を登った所からの眺め

写真8
写真8 拡大 (1280×960)

忠魂碑、当社の北側にある。戦没者名として約230の氏名が記されてゐる。台座の背面に600字を越える碑文が刻まれてゐる。附記として次の様に記されてゐる。
附記
一 昭和十三年   忠魂碑建立
二 昭和四十五年  開基四十年記念として忠魂碑改築
三 平成八年    平和の塔及忠魂碑移転改築
          工事費  壱千百弐万壱千円也
          工事請負者 (転記略)


写真9
写真9 拡大 (1280×960)

向って右は「安村治高丸翁像」(1981建立)、左は「開拓の碑」

開拓の碑の碑文は次の様
碑文
明治丗九年富山県人安村治高丸氏一族の入植を初めとし幾多先人の困苦欠乏を克服した開拓者精神に、つちかわれて今日の隆昌をみるに至った郷土 上士幌町。
昭和六年 士幌村より分村して四十年の今日先人の功績を讃えるとともに町民一丸となつて末永き繁栄への努力を誓うものである。
昭和四十五年八月誌
   上士幌町



出典・脚注
  1. 北海道神社庁 北海道の神社 上士幌神社
  2. 上士幌駅駅舎のあった位置 北緯43度13分47秒 東経143度17分21秒 国土地理院地図
  3. 参考 令和3年12月07日閲覧 札幌軟石情報発信サイト 北海道の軟石文化 札幌軟石ネットワーク事務局

改訂記録
  • 令和06.02.21 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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