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芽室神社 (北海道〈十勝〉芽室町)
参拝日 令和3年5月31日(月)
作成日 令和4年1月15日(土) 改訂日 令和6年2月20日(土) |
めむろ じんじゃ
| 〈十勝管内〉河西郡芽室町西一条八丁目2
| (42度55分6.46秒 143度2分44.36秒) 地図:地理院地図(ズームレベル15) いつもNAVI(ズームレベル13) 参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
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HP等
| ・北海道神社庁 北海道の神社 芽室神社
| 祭神
| 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
| 元 村社
| 北海道神社庁webには次の様に載ってゐる(1)。
境内設置の「御鎮座百年記念」碑(写真7)碑背によると、
雑記
| 最寄駅は根室本線芽室駅で南(177°)へ0.95kmの所にある。
| 本日、これまで十勝南部の農業地帯の神社を巡ってゐたから、当地へ来ると車の通行量が格段に増え都市部に来たやうな気がした。駅前辺りは建物も密集してゐる。 昭和39年3月22日夜には「芽室大火」があり89世帯403人被災したと云ふ。この後行く菓子店も被災したと云ふ。消防態勢はともかく、それだけの家屋があったと云ふことだ。 当社のある芽室公園は市街に接してゐるが、広く緑が豊だ。先人の見識だらう。札幌圈の話だが、北広島市に運動公園を作り新球場を建設してゐる。緑地をすこしづつ削ってゆく事に懸念や反対の声はほとんど聞えてこなかった。札幌オリンピックで伐採された恵庭岳山腹の樹林復元には50年かかっても不完全だ。芽室公園も少しづつ削られて小さくなって行かないやう願ふ。 16時20分過ぎ、当社の参拝を終へて本日の神社巡りはこれにて終了。天気も良かった。 この後、芽室駅前近くにある菓子店に寄って、買物をした。自宅へ冷凍した菓子(中華饅頭)を送ってもらひ、バタークリームを使ったロールケーキ他を購入して夕食・翌朝の食事に充てる。近くのスーパーでも惣菜を購入。ロールケーキは冷凍されてゐたが、今日の宿に着く前に半分食べてしまった。冷凍した中華饅頭は、少しずつ食べ、7ヶ月後の1月10日、最後の一つを食べた。甘くて好ましい。 本日の走行距離は、325km。 明日は厚岸から根室の神社を巡る予定。 |
写 真 (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます) |
写真1 拡大 (1280×960) 一の鳥居 社殿はこの先250m程にある。 |
写真2 拡大 (1280×960) 二の鳥居・社号標 社号標「芽室神社」、背面に「平成五年九月吉日」の年記がある。個人による奉納。 |
写真3 拡大 (1280×960) 二の鳥居 (木陰になるところから撮影) |
写真4 拡大 (1280×960) 社殿正面 石像物がいろいろある。 狛犬・灯籠は「昭和七年九月十日」の年記がある。台座を含めて全体が札幌軟石製と思はれる。90年を経てゐるのに痛みは少ない。 竿の部分の長い灯籠の一つは「平成六年五月吉日」の年記があった。何対もあったが他は未確認。 |
写真5 拡大 (1280×960) 拝殿内 |
写真6 拡大 (1280×960) 拝殿前から鳥居方を望む 階段を降りた左手にある、朱の建物・鳥居は稲荷神社 |
写真7 拡大 (1280×960) 「御鎮座百年記念」碑 |
写真8 拡大 (1280×960) 忠魂碑入口 写真右側に「畏友」碑(昭和47年9月 芽室町戦没者慰霊友の会)、左側に「鎮苑」碑(昭和42年9月 芽室町遺族会)がある。 「鎮苑」碑には、「大東亜に曙を開く戦いが終りを告げて ここに23年 歩み来た路は嶮しく また長き路でもあった 終戦23年を記念して御国に捧げた肉身の冥福を祈る遺族一同がそのねがいを狛犬に託す 御霊よ とこしえに 安らかなれ」と記されてゐる。 |
写真9 拡大 (1280×960) 忠魂碑 陸軍大将伯爵寺内正毅書 明治四十五年七月建之 このほか、「慰霊」碑があり「この碑は各戦役事変に犠牲となられた本町由縁諸士の霊を慰めかつその勲を永遠に讃えるため大東亜戦役終戦十三年を期し建立したものである 昭和三十二年八月十三日建之」として日清・日露・支那・大東亜の戦役毎に氏名が刻まれてゐる。併せて300名余。 狛犬には「終戦23周年記念 昭和42年9月 芽室町遺族会」と刻まれてゐる。 忠魂碑に向って左手に「英魂」碑 「英魂 とこしえに安かれ 町村金五書」。碑背に「終戦33年記念事業達成 昭和五十二年八月二十日 芽室町遺族会建之 終戦三十三年並びに芽室町遺族会運営基金壹千萬円達成にあたり永遠の平和を祈念して 遺族会有志によりこの碑を建てる 芽室町長 中原孝一」と刻まれ、多くの有志者の氏名が刻まれてゐる。 |
写真10 拡大 (960×1280) 開拓記念碑 北海道庁長官戸塚九一郎書 背面には「開拓記念碑蔭記」として漢文400字余が彫られてゐる。年記は、昭和十五年十一月。 |
御朱印 拡大 (660×960) |
出典・脚注
改訂記録
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