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芽室神社 (北海道〈十勝〉芽室町)

参拝日 令和3年5月31日(月)
作成日 令和4年1月15日(土)
改訂日 令和6年2月20日(土)
よみ  めむろ じんじゃ  
所在地 〈十勝管内〉河西郡芽室町西一条八丁目2
 (42度55分6.46秒 143度2分44.36秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 芽室神社
祭神  天照大御神(あまてらすおおみかみ)
由緒  元 村社
 北海道神社庁webには次の様に載ってゐる(1)
由来 明治30年3月長野県から移住した遠山房吉は、当時前後して入地した高橋半左衛門・矢島七兵衛・有賀亦右衛門・沢田兵蔵等と共に芽室町旧市街の礎を築く為に奔走し、同33年に戸長役場他設置の見通しがつき、将来の市街発展が予想されるに至ったので、細やかながら祠宇を建立し祭神を奉斎して村の鎮守とするため世話人となった。雪まだ深い春、遠山宅横の木株に名ばかりの祠を建て、天照大神を祭神として春秋の祭典を行い主として世話人の人々が供物等の世話をして、翌34年からは若者達の奉納相撲も行われた。明治40年に旭川・釧路間の鉄道が開通し芽室駅の開業を見るに至って旧市街から新市街に移るものが多くなり、同44年遠山房吉等世話人の間に奉遷の協議がなされた。現在地である芽室公共用地内の一部の貸付を受け神社建設が具体化され、同年7月15日地区の部長及び組長が集合して建築について協議され、翌45年4月27日竣工し27日再建遷座祭が行われた。大正、昭和に入り社殿社務所共に数回改築しているが、現在の社殿は昭和45年、社務所153.4坪は55年に竣工している。

 境内設置の「御鎮座百年記念」碑(写真7)碑背によると、
明治三十二年 九月  基線十七番地に細やかな神社を建立
明治四十五年 四月  現在地に社殿を建立し遷座祭を執行
大正 十三年 九月  村社芽室神社となる
昭和  三年十一月  本殿を神明造に改築する
昭和二十一年 六月  神社本庁に所属し宗教法人として発足
昭和二十四年 二月  本殿並幣殿を改築し本殿は現在に至る
昭和四十七年 九月  祝殿幣殿拝殿を改築し現在に至る
昭和五十五年十一月  社務所新築現在に至る
平成 十一年 十月  芽室神社御鎮座百年奉祝祭執行 
  記念事業     神輿渡御完全機動化製作完了
平成 十三年 七月  芽室神社御鎮座百年記念碑建立
雑記  最寄駅は根室本線芽室駅で南(177°)へ0.95kmの所にある。

 本日、これまで十勝南部の農業地帯の神社を巡ってゐたから、当地へ来ると車の通行量が格段に増え都市部に来たやうな気がした。駅前辺りは建物も密集してゐる。
 昭和39年3月22日夜には「芽室大火」があり89世帯403人被災したと云ふ。この後行く菓子店も被災したと云ふ。消防態勢はともかく、それだけの家屋があったと云ふことだ。
 当社のある芽室公園は市街に接してゐるが、広く緑が豊だ。先人の見識だらう。札幌圈の話だが、北広島市に運動公園を作り新球場を建設してゐる。緑地をすこしづつ削ってゆく事に懸念や反対の声はほとんど聞えてこなかった。札幌オリンピックで伐採された恵庭岳山腹の樹林復元には50年かかっても不完全だ。芽室公園も少しづつ削られて小さくなって行かないやう願ふ。

 16時20分過ぎ、当社の参拝を終へて本日の神社巡りはこれにて終了。天気も良かった。
 この後、芽室駅前近くにある菓子店に寄って、買物をした。自宅へ冷凍した菓子(中華饅頭)を送ってもらひ、バタークリームを使ったロールケーキ他を購入して夕食・翌朝の食事に充てる。近くのスーパーでも惣菜を購入。ロールケーキは冷凍されてゐたが、今日の宿に着く前に半分食べてしまった。冷凍した中華饅頭は、少しずつ食べ、7ヶ月後の1月10日、最後の一つを食べた。甘くて好ましい。
 本日の走行距離は、325km。
 明日は厚岸から根室の神社を巡る予定。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)

一の鳥居

社殿はこの先250m程にある。

写真2
写真2 拡大 (1280×960)

二の鳥居・社号標

社号標「芽室神社」、背面に「平成五年九月吉日」の年記がある。個人による奉納。
写真3
写真3 拡大 (1280×960)

二の鳥居
 (木陰になるところから撮影)

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

社殿正面

石像物がいろいろある。
狛犬・灯籠は「昭和七年九月十日」の年記がある。台座を含めて全体が札幌軟石製と思はれる。90年を経てゐるのに痛みは少ない。
竿の部分の長い灯籠の一つは「平成六年五月吉日」の年記があった。何対もあったが他は未確認。

写真5
写真5 拡大 (1280×960)

拝殿内

写真6
写真6 拡大 (1280×960)

拝殿前から鳥居方を望む

階段を降りた左手にある、朱の建物・鳥居は稲荷神社

写真7
写真7 拡大 (1280×960)

「御鎮座百年記念」碑

写真8
写真8 拡大 (1280×960)

忠魂碑入口

写真右側に「畏友」碑(昭和47年9月 芽室町戦没者慰霊友の会)、左側に「鎮苑」碑(昭和42年9月 芽室町遺族会)がある。
「鎮苑」碑には、「大東亜に曙を開く戦いが終りを告げて ここに23年 歩み来た路は嶮しく また長き路でもあった 終戦23年を記念して御国に捧げた肉身の冥福を祈る遺族一同がそのねがいを狛犬に託す 御霊よ とこしえに 安らかなれ」と記されてゐる。
写真9
写真9 拡大 (1280×960)

忠魂碑 陸軍大将伯爵寺内正毅書 明治四十五年七月建之

このほか、「慰霊」碑があり「この碑は各戦役事変に犠牲となられた本町由縁諸士の霊を慰めかつその勲を永遠に讃えるため大東亜戦役終戦十三年を期し建立したものである 昭和三十二年八月十三日建之」として日清・日露・支那・大東亜の戦役毎に氏名が刻まれてゐる。併せて300名余。
狛犬には「終戦23周年記念 昭和42年9月 芽室町遺族会」と刻まれてゐる。

忠魂碑に向って左手に「英魂」碑 「英魂 とこしえに安かれ 町村金五書」。碑背に「終戦33年記念事業達成 昭和五十二年八月二十日 芽室町遺族会建之 終戦三十三年並びに芽室町遺族会運営基金壹千萬円達成にあたり永遠の平和を祈念して 遺族会有志によりこの碑を建てる 芽室町長 中原孝一」と刻まれ、多くの有志者の氏名が刻まれてゐる。

写真10
写真10 拡大 (960×1280)

開拓記念碑 北海道庁長官戸塚九一郎書

背面には「開拓記念碑蔭記」として漢文400字余が彫られてゐる。年記は、昭和十五年十一月。

写真8
御朱印 拡大 (660×960)


出典・脚注
  1. 令和4年1月12日閲覧 北海道神社庁 北海道の神社 芽室神社

改訂記録
  • 令和06.02.20 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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