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大正神社 (北海道〈十勝〉帯広市大正本町)

参拝日 令和3年5月31日(月)
作成日 令和4年1月15日(土)
改訂日 令和6年2月20日(火)
よみ  たいしょう じんじゃ  
所在地 〈十勝管内〉帯広市大正本町268番地
  (42度47分23.64秒 143度10分0.50秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    いつもNAVI(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 290km×南北 270km の範囲の地図です
・東西290km 南北270km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等 ・北海道神社庁 北海道の神社 大正神社
・当社 HP
・当社 ブログ しあわせカントリー(大正神社ブログ)
祭神  天照大神(あまてらすおおかみ)
由緒  元 村社
 境内の掲示には次の様にある。
大正神社
  鎮座地 帯広市大正本町268番地
    旧大字幸震村幸震268番地
祭神名  天照大神
例祭日 春季例祭 四月十一日
秋季例祭 九月 八 日
境内地 5356坪(一町七反八畝)
御由緒 大正十一年ニ字札内東一線百番地ニ幸震神社トシテ御創祀サレル
昭和五年ニ村社ニ列格スル
同年ニ社名ヲ大正神社ト変更シ、昭和四年ノ広尾線開通ガ参拝ノ妨ゲトナリ、昭和九年ニ現在地ニ移転
地域ノ守護神トシテ、子育テ芸能開運ノ神様トシテ、崇敬サレル
御神事 大正宮神楽(神楽顕彰碑有リ)
昭和二十一年ニ小樽市鎮座ニ住吉神社ノ太々神楽ガ伝エラレテ大正ノ里ニ正気ヅク神楽
六月二十五日・九月八日ニ奉納

 北海道神社庁webには次の様に載ってゐる(1)
由来
大正10年2月幸震村有志が相議り、地域住民の淨財を以て、大正11年7月社殿を造営し天照大神を奉祀し幸震神社と称へ祭典を執行した。大正15年5月1日村界変更により村民一致し村社として出願を熱望し昭和2年11月12日許可、昭和5年2月19日村社に列格した。昭和5年3月10日附で神社名を大正神社と変更申請、昭和5年5月17日附許可となり、昭和5年5月4日附神饌幣帛料供進神社に指定された。
雑記  最寄駅は根室本線帯広駅で北(11°)へ14.5kmの所にある。 広尾線(2)のあった昭和4年から昭和62年の間は大正駅(昭和19年に幸震駅から改称)が参道入口(鳥居の位置)からは北へ0.2kmのところに在った。

 境内の掲示板には毎年「還暦祝」としていろいろなものを奉納されたと記事が載ってゐる。
 令和二年は社殿参拝用椅子四十四脚、平成三十一年は看板「大正神社」、平成三十年は防犯カメラ三機・社務所LED照明器具六基、等々。また、七月一日には「お人形感謝祭」・「写真供養祭」を行ってゐると云ふ。
 御朱印は当社の他、兼務社四社も授与してゐる。尤も、訪れた時はコロナウィルス感染防止のため中止されてゐた。四社は、愛國神社・中札内神社・大國神社・上更別神社。


湧水「幸震(こうしん)」があると云ふ。
気づかなかった。
十勝毎日新聞電子版(2017-07-20)(3)、当社webによると、
当地を鎮座地とした際、この湧水があることが場所選定の理由の一つだったと云ふ。広尾線が廃止(昭和62年)となり鉄道の職員住宅が無くなり管理することなく放置されたため荒れてゐたが整備した平成17年に一般開放し利用されてゐると云ふ。ただ、水質基準に適合してゐても、保健所からはエキノコックス感染防止のため煮沸して飲用するよう指導されてゐると云ふ。流れる小川にはニホンザリガニも生息してゐるといふから、外来種から守られてゐてほしい。

大正四年に建立された公殉碑があると云ふが、これも見逃した。境内は、うんと広かったやうだ。

当地は、かつて大正村だった。大正村の変遷は、次の様(4)
  • 大正4年(1915)に上帯広村、幸震(こうしん)村、売買(うりかり)村が合併し、大正村成立した。 (幸震村は さつないむら と読むのかもしれない。駅名は こうしん となってゐる)  昭和22年に大正村字幸震村の一部が分割され中札内村、更別村の一部となった。 なほ、売買村は明治35年(1902)に、売買村、迫別(せまりべつ)村、戸蔦(とった)村、鵺抜(ぬえぬんけ)村の4村が合併した。なかなか読める字ではないが、戸蔦と云ふ地名・戸蔦別川と云ふ川名がある。他の名はだうなったか不詳。
  • 大正13年(1924)、大字上帯広村の全部と大字売買村の一部(主に札内川、戸蔦別川以西)が川西村として分村
  • 大正15年(1926)、幕別村(現・幕別町)より、幕別村、別奴(べっちゃろ)村の2大字の各一部を編入
  • 昭和22年(1947)、大字幸震村・大字売買村・大字幕別村の各一部が中札内村として、大字幸震村・大字幕別村・大字別奴村の3大字の各一部が更別村としてそれぞれ分村。
  • 昭和32年(1957)、 川西村とともに帯広市へ編入。本村の全域をもって、帯広市大正町となった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1
写真1 拡大 (1280×960)



写真2
写真2 拡大 (1280×960)

社号標は「村社大正神社 靖國神社宮司小五位勲四等加茂百樹謹書」、背面に「昭和十一年六月建」

鳥居は柱に「還暦記念 昭和丗九年二月四日」と年記がある。

写真3
写真3 拡大 (1280×960)

社殿正面

狛犬は「大正十一年五月」と年記がある。

写真4
写真4 拡大 (1280×960)

写真5
写真5 拡大 (1280×960)



写真6
写真6 拡大 (1280×960)

神楽顕彰碑

奉納
 寒河江和雄宮司が小樽市に鎮座する住吉神社の太々神楽を大正神社に伝え大正の里に生気づく神楽に編成したものである
 演目には 清宮を舞い始めとして先稚児榊・花献・鶴羽返し・末広・大三・羽返し浦安の舞などの舞があり最後に舞納める福神遊は観客に福分けをする目出度い舞であり平成二十年には大正宮神楽保存会として永年の活動が認められ帯広市文化奨励賞を受賞する
 この貴重な神楽を広く多くの人に知って戴く事と後世に綿々と引き継いで戴きたい思いを込めて福授け打出の小槌を寄進する
 平成二十二年九月八日 梶 英明


写真7
写真7 拡大 (1280×960)

拝殿前から鳥居方を望む

灯籠は階段上に二対(写真に写ってゐる)、階段下の鳥居当りに一対(写真2に写ってゐる)ある。社殿に近い方の一対は「幸震市街」「大正十二年八月」、もう一対は「昭和十二年九月建之」と年記がある。


出典・脚注
  1. 令和4年1月10日閲覧 北海道神社庁web 北海道の神社 大正神社
  2. 広尾線  かつて帯広から広尾へ通じてゐた84kmの路線。昭和4年に中札内駅(帯広から28.1km)まで開業、昭和5年に大樹(60.6km)まで開業、昭和7年に広尾(84.0km)まで開業。手持の時刻表(昭和50年10月)では一日6往復運転で、上り始発822Dは広尾発は5時45分・大正発7時24分・帯広着7時46分、表定速度 41.6km/h だった。国鉄分割民営化直前の昭和62年2月に廃止された。(日本鉄道旅行地図帳1北海道(株)新潮社平成20年5月、ウィキペディア広尾線、時刻表 日本交通公社 昭和50年10月号 に基づく)
  3. 令和4年1月10日閲覧 十勝毎日新聞電子版 大正神社湧き水「幸震」 宮司と住民守り12年、人気の水に 2017-07-20
  4. 令和4年1月10日閲覧 ウィキペディア 幸震村

改訂記録
  • 令和06.02.20 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。

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