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温泉神社(宮城県大崎町鳴子)

作成日 平成26年7月10日
よみ  ゆのかみのやしろ(おんせんじんじゃ)
参拝日  平成26年6月20日(金)
所在地  大崎市鳴子温泉字湯元31の1 (北緯38.740638 東経140.716414)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  宮城県神社庁 温泉神社
祭神  大己貴命
 少彦名命
由緒  境内にある石碑には次のやうに記されてゐる。
延喜式内社 温泉神社縁起
  祭神  大已貴命
      少彦名命
  例祭日 九月七、八、九日
 温泉神社の創建は古く、続日本後紀に次のように記されている。「仁明天皇の御代、承和四年(八三七)四月、鳥谷ヶ森にわかに鳴動する こと数日、遂に爆発し熱湯を噴出、河となつて 流れた。里人は驚いて朝廷に報告した。朝廷は温泉の神を祀り、この年十月九日從五位下を賜る」と。 里人はこの湯を鳴声(なきご)の湯と称した。これが現町名鳴子(なるご)の起りである。(宮城県郷土史) また朝廷では、延喜五年(九〇五) 全国の神社を調査した。その時、延喜式神明帖に登載された神社を延喜式内 社と言うが、当神社は、その延喜式内社で由緒の深い神社である。 明治七年村社に列せられ、昭和十九年知事により、神饌幣帛料供進神社に指定された。祭神の大己貴命は、出雲の神として親しまれる大国主命 ともいわれ、少彦名命と共に縁結びの神、農耕の神、また病気治癒の医療の神として知られ、多くの人々の篤い信仰を集めてきた。
 秋に行われる祭典には、近郷近在から大勢の若者を集め、寄せ太鼓も賑々しく相撲を奉納することを常とした。この相撲は「文治五年 (一 一八九)源頼朝が、平泉の藤原泰衡を征討した 。この時、当神社に戦勝を祈願し、ことの成就後神の御加護を謝して、部下の勇士による 相撲を奉納したことに始まる」とされている。鳴子相撲は九州の「明烏」東京の「浅草」と並び、日本の三大田舎相撲の一つとして有名である。
 昭和十年、拝殿建立に続き昭和十九年には本殿の竣工をみた。総けやきの権現造りである。例祭には、前記勧進相撲をはじめ、全国こけし祭り などの特色のある行事が、町を挙げて盛大に催され、氏子だけでなく訪れる人々の大きな楽しみとなっている。
  昭和六十年九月八日
    撰文 宮司 芦立 忠
    建立 温泉神社 總代会
参拝寺に頂いたパンフレットによると例祭は九月第一土、日となってゐる。
雑記  なるご(鳴子)と記憶してゐたが、ちかごろは「なるこ」といふらしい。駅名も鳴子駅のはずが「鳴子温泉駅」といつの間にか 変ってゐる(調べたら平成9年に改称されてゐた)。
 明治期の町村制施行にともない鳴子村・大口村・名生定村が玉造郡温泉村となり、大正10年鳴子町が分離、昭和29年鳴子町・川渡村・鬼首村が合併し新制の鳴子町が発足、 平成18年三本木町・古川市他と合併し大崎市発足。昭和50年代に時刻表を読んでゐたから鳴子温泉駅も大崎市も初耳であった。
 温泉神社へは、陸羽東線鳴子温泉駅から南に300mほどのところ。
 一の鳥居の辺りの境内にお湯の沸いてゐるところがあり湯の豊富なところなのだと感心した。


平成26年6月20日撮影 鳥居の右手には啼子(なきこ)の碑がある

平成26年6月20日撮影


平成26年6月20日撮影 上は畠山登雲の彫刻

平成26年6月20日撮影


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