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鹽竈神社(宮城県仙台市宮城野区)

作成日 平成21年7月5日
追記日 ────────
よみ  しおがま じんじゃ
所在地  仙台市市宮城野区榴岡2-2-22(北緯38度15分43秒、東経140度53分1秒)
HP  宮城県神社庁 詳細 : 鹽竈神社
由緒 境内の掲示板によると(横書き)
   塩 竃 神 社 の 由 来
 寛文12年(1672)仙台藩4代藩主となった伊達綱村は、塩釜の鹽竈大明神(塩竃神社)
を修造する際に原田甲斐を修造奉行に、三分一所典膳を副奉行に任命し、塩竃神社の
奉幣及び勅額を東六番丁にあった高福院境内に仮宮を設けて安置しました。
当時は神仏混淆の時代のため、寺院と神社が同居していました。
1680年に鹽竈神社が完成委してご神体は塩釜に移されましたが『鹽竈神』を尊拝する
町内の氏子が、仮宮を廃殿にするには忍びないという思いから、新たに鹽土老翁神
(しおつちのおじのおきなのかみ)を迎えて、その名を鹽竃大明神として大事に祀って
きました。その後、明治20年に東北本線が開通すると、線路並びに仙台駅舎が東六番丁
と名掛丁の間に造られたために、高福院は荒町・満福寺に合祀され、また、明治維新後は
神仏分離思想が広まっていたために鹽竃神社の居場所が無くなってしまいました。
そこで、町内の氏子有志が東六番丁を挟んで東側にすでにあった三吉神社(みよし神社
・東六番丁29番地)の隣接地を買い求め、三吉神社境内に鹽竃神社を移築しました。
そして平成14年2月、仙台駅東区画整理事業にともない、この地に再度移築されました。
当神社は、安産。交通安全・縁結び・初恋成就などの祈願に多くの参拝者を集めています。



  三吉(みよし)神社の由来
御祭神は秋田県中央に聳える出羽山系・太平山の山頂にある太平山・三吉神社に三吉大明神を
分霊して祀っています。この太平山・三吉神社は1300年ほど前に、役(えん)の行者・小角(おづぬ)
が大巳貴大神と少彦名大神を祀って創建したと伝えられ、延暦20年(979年)には、征夷大将軍・
坂上田村麻呂が東北地方鎮撫の時、先勝祈願を込めて建立するなど、古代王朝の時代より『戦利成功』
『諸事繁栄』の守護神として広く信仰を集めてきました。
その後、太平山の麓の城主になった藤原鶴寿丸三吉は、武芸に優れ人望も厚く、人々から名君と
賞されておりましたが、大井太郎・五郎の妬みをかい、望まぬ戦の挑発を受ける身になったために、
太平山に引籠り、御祭神を深く信仰して厳しい修行を重ねて『現人神』になり、宿敵を滅ぼしました。
人々はその威容に驚き、三吉大神として崇拝し、『郷土の神』として長年にわたって祀るようになりました。
仙台の三吉神社は、建立者および時期は不詳ですが明治時代以前からこの地にあったと思われ、
三吉さんの愛称で、塩竃さまとともに住民の信仰を集めてきました。
また、当神社における神饌の中に全国でもめ珍しい煙草を供える事になったのは、三吉大神が修行の折、
太平山に多く住み着いていた大蛇を煙草をもって煙り攻めとし、退散させた事に由来しています。
参拝日 平成21年6月30日(火)
雑記  掲示板に、パンフレットがあり、近くの不動産会社または酒店で頒布してゐるとのことで、酒店で頂いてきた。
 パンフレットにある神社の由緒は、境内と全く同文だが縦書きになってゐる。また、移転前の鹽竈社殿の写真が載ってゐる。 それを見ると、境内には大きな木があり、社殿は木造から鉄骨に、狛犬も新しくなってゐるのが判る。

鹽竈神社
平成21年6月30日日撮影
鹽竈神社
平成21年6月30日撮影
三吉神社
平成21年6月30日撮影


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