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刈田峰神社 里宮(宮城県蔵王町遠刈田温泉)

参拝日 平成29年6月29日(木)
作成日 平成30年1月20日(土)
追記日 令和6年4月19日(金)
よみ  かったみねじんじゃ さとみや  
所在地  蔵王町遠刈田温泉仲町1 (北緯38度7分28.59秒 東経140度34分34.27秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  宮城県神社庁 神社詳細 刈田峰神社
 Wikipedia:刈田嶺神社 (蔵王町遠刈田温泉)
 蔵王町の歴史と文化財HP内刈田峰神社
祭 神  天之水分神 (あめのみくまりのかみ)
 国之水分神 (くにのみくまりのかみ)
由 緒  郷社
 Wikipediaには次のやうに説明してゐる。
 「奥羽山脈・蔵王連峰の宮城県側、刈田岳東麓の遠刈田温泉にある神社。刈田岳(標高1758m)山頂の「刈田嶺神社」と対になっており、山頂の同名社を「奥宮」、当社を「里宮」と言う。神体は、夏季に山頂の「奥宮」に、冬季は麓の「里宮」にと、両宮の間を季節遷座している」「『蔵王連峰』の "蔵王" は、かつて両宮が祀っていた蔵王権現に由来する」。また、「宮城県神社庁と当社が所在する蔵王町との間で、当社の歴史が一部異なる」としてゐる。
 由緒は、共通するのは、大和国(現奈良県)吉野山の蔵王権現を分祀し、明治の神仏分離令を受け、改称するまでは、蔵王大権現と称し、修験の場だった。一時「水分神社」と称したが明治八年に「刈田嶺神社」と改称し、郷社に列した、といふ。
 同町宮地区に鎮座する、由来の異なる同名神社(式内社(名神大))があるので、ややこしくなってゐるやうだ。
雑 記  東北本線白石駅から北ないし北北西へ14kmのところにある。奥宮へは、当社から西へ11km(道程20km)の刈田岳山頂にある。

 本日は、前日に出発したバスツアーで当地に宿泊してゐたので、朝食前に訪れた。宿泊した宮城蔵王ロイヤルホテルは街外れにあり、当社まで道程1.8kmなので歩いてはこれないと思ってゐた。幸ひ、玄関に貸自転車が置かれてゐたの、借りることにした。当社へは、70mの高低差(斜度4%の下り)を馴れない自転車なのでブレーキを掛けながらも、随分早く着いた。おかげで、湯神社古峰神社もお参り出来た。
 この後、バスツアーは、刈田岳山頂(御釜が見える、また奥宮がある)と山形県でさくらんぼ狩りをして帰路に就く。

 境内には忠魂碑・殉難碑・小牛田山神社があった。
 忠魂碑は、碑文が一部分読めないが、日清日露戦役従軍戦死者の霊を称へるもので、昭和四十四年に移転された模様。「此の碑は日清日露戦役従軍戦死者の霊を祀ったもので当地旧大小室公園に建立(四五文字読めず)参拝者の多からん事を願い此の場所に移転 昭和四十四年 九月吉日 軍恩遠刈田支部移転協力者 (二十余名の氏名)」とある。碑「誠忠碑」の書は、陸軍大将鮫島重雄(嘉永二年-昭和三年)。

 殉難碑は「昭和二年六月、当時の円田村永野に於いて発生した大火の際、消化に出動した数人がトロッコに乗り消火に向う途中疣(いぼ)岩付近で転覆事故に遭遇し殉職されました。当時の宮村に置きましては村葬を以って個人の供養を行いました。(以下略)」と説明が附されてゐる。書は内務大臣望月圭介(慶応三年-昭和十六年)。(疣岩付近は大正6年に仙南温泉軌道(軌間762mm)が営業を始めてゐた。遠刈田から永野へ急勾配を降ってゐたのだらうか。)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  鳥居の扁額は「蔵王大権現」。鳥居をくぐって左手に社殿がある。


写真3  鳥居は大正十二年奉納で三角形の扁額は「刈田嶺神社」、社号標は「延喜式内 郷社刈田嶺神社」




写真2


写真4


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.04.19 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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