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湯殿山神社(山形県鶴岡市田麦俣)

参拝日 令和3年10月2日(土)
作成日 令和4年4月23日(土)
追記日 令和6年2月15日(木)
よみ  ゆどのさん じんじゃ
概要  当社(湯殿山神社)は山形県鶴岡市田麦俣の湯殿山中腹の標高1000m越えの所に鎮座する。社殿は無い。出羽三山(月山・羽黒山湯殿山)の一つ。旧社格は国幣小社、現在は別表神社。  
所在地  鶴岡市 田麦俣(たむぎまた) 字六十里山7  
  (38度32分28.87秒 139度59分10.38秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 150km×南北 140km の範囲の地図です
・東西150km 南北140km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.6km×南北 1.3km の範囲の地図です
・東西 1.6 km × 南北 1.3 km、
印:本殿の位置
・上図は原寸大を71%に縮小表示
    
HP等  Wikipedia:湯殿山神社
 当社HP:湯殿山神社(出羽三山神社HP内)
祭神  大山祗命 (おほやまつみのみこと)
 大己貴命 (おほなむちのみこと)
 少彦名命 (すくなひこなのみこと)
由緒  国幣小社、別表神社 

 ウィキペディアによると、
 山形県鶴岡市田麦俣の湯殿山山腹に鎮座する神社。旧社格は国幣小社、現在は別表神社。
 湯殿山神社は、山形県庄内地方にひろがる出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)のうちの、湯殿山の中腹にある。湯殿山は月山に連なるものであり、湯殿山神社は、月山から尾根を西に8km下りた地点にあり、また、月山より流れる梵字川沿いにある。古来から修験道を中心とした山岳信仰の場として、現在も多くの修験者、参拝者を集めている。
 湯殿山神社は、本殿や社殿がない・・・

 次の掲示があった。(参拝バス終点附近)
湯殿山のご由来
御祭神 大山祗命 (おおやまづみのみこと)
    大己貴命 (おおなむちのみこと)
    少彦名命 (すくなひこなのみこと)
 出羽三山とは、月山・羽黒山・湯殿山の総称で推古天皇元年(593)、第三十二代崇峻天皇の御子である蜂子皇子様の御開山である。皇子は、蘇我氏の難を避け、京都の由良から回路を経て、出羽国庄内浜の由良に入られた。そして三本足の霊鳥の導くままに羽黒山に入り難行苦行の末、羽黒山上に羽黒権現の御示現を拝し、次いで、月山、湯殿山を開き、両神を羽黒山に勧請して羽黒三所大権現と称した。
 その後、皇子の御徳を慕い、加賀白山を開いた泰澄上人や天台宗の開祖伝教大師とその弟子慈覚大師なども来山して修行をしたとも伝えられている。こうして皇子修行の道は次第に発展して羽黒派修験道となり、全国に名を知られ時代を重ねるにつれ、人々の厚い信仰を集めることとなった。
 此処、湯殿山は、推古十三年(605)の御開山とされ、出羽三山の総奥の院として特に厚い信仰を集めてきた。江戸時代までは真言宗として奉仕してきたが、明治維新に際して神仏分離(廃仏毀釈)が発令され、古への神奈備山にかえり神社トシテ奉仕している。
 殊に出羽三山信仰は「山関三度」(さんかんさんど)や、「擬死再生」(ぎしさいせい)など、生まれ変わりの信仰が居間も尚息づいている。羽黒山で現世利益の御神徳に与り、月山の大神の下で死語に体験をし、慈悲深い湯殿の大神より、新しい生命を賜って、再生すると考えられる。
 特に湯殿山での修行は三世を超えた大日如来を本地仏とする大山祗命・大己貴命・少彦名命の霊験により、神仏と一体になり即身成仏を得ることが出来るとされた。また湯殿山本宮では、御神体を目の当りに拝し、直に触れてお詣りが出来る御霊験の有り難さより、俳聖松尾芭蕉も「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」の句を残された、古来「語るなかれ」「聞くなかれ」と戒められた清浄神秘の霊場なのである。
ご参拝について
・参拝バスを降り、湯殿山神社本宮参道入口より徒歩五分(約百メートル)
・本宮入口で素足になってお祓いをうけてから御神前にお進みお参り下さい。
御祓料金 五00円
※本宮内はご由緒により撮影はご遠慮下さい。
雑記  旅行会社のツアーに参加して訪れた。

 参拝バスを降りてから先の写真は撮影してゐない。
 異質なところだった。 

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社号標は「出羽三山霊場 湯殿山神社本宮」とある。
 鳥居の扁額には「出羽三山神社奥宮 湯殿山本宮 酒井家十七代当主 出羽三山神社崇敬会長 酒井忠明敬書」とある
 ツアー会社のバスはここまでこれる(一般参拝者の車両も)。標高は920mほど。本宮参拝バスに乗換えた。
 時折、雨が強く降るあいにくの天気だった。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 本宮参拝バスの終点。乗車距離は1.2km、標高は1050mで130m登るから、平均勾配は 11%。
 ここから先は徒歩。写真撮影禁止。
 お祓を受けて参拝してきた。

御朱印
御朱印 拡大 (1283×960)
 湯殿山神社 御朱印

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 参拝から帰ってきて、撮影。
 写真の中央から左の方に玉姫稲荷神社と仙人澤が写ってゐる。

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 境内社 玉姫稲荷神社入口
 由緒の掲示があり、次の様。
玉姫稲荷神社の由緒
 玉姫稲荷神社は、此処仙人沢の霊域に於いて、即身成佛の修行に挺身された 鉄門海上人が守り神として帰依され、その御守護を得て成佛されたとのいわれにより湯殿大神に願掛けする人は、先ず玉姫稲荷にお参りし、その霊験におすがりし、そのおたすけを頂いて本願を達成するという、習わしがありました。
 初めは、石柱を憑代としておりましたが昭和六十一年神社の御神木を以て社殿を造営し又、信者の寄進により鳥居も建立され、御社頭一新の整備を見ました。
 玉姫のみいづかしこむまめ人が
     祈る真心嘉し給へと
        春 岳

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 境内社 玉姫稲荷神社社殿

御朱印
御朱印 拡大 (675×960)
 玉姫稲荷神社 御朱印
 

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 仙人澤の玉垣と供養塔
 碑「即身佛修行之地 湯殿山仙人澤」
即身仏模擬像があり、由来の掲示があった。
 湯殿山は出羽三山の奥の院として明治の初めまで神佛習合の霊山として栄え此処、仙人沢は木食行人(一世行人)修行の霊地でありました。
庄内地方にある即身佛六体
真如海上人 大日坊 鶴岡市大網
鉄門海上人 注連時 鶴岡市大網
本明海上人 本明寺 鶴岡市東岩本
鉄龍海上人 南岳寺 鶴岡市砂田町
忠海上人  海向寺 酒田市日吉町
円明海上人  〃   〃
は、皆湯殿山仙人沢に於て五穀を断ち十穀を絶つて厳しい修行を重ね衆生済度のため挺身された尊い方々であります。
最近この霊場、湯殿山仙人沢の信仰史蹟を広く顕彰して欲しいとの要望がある矢先、映画「月山」に於てミイラ像を作成した御縁で鶴岡市出身医博秋山太一郎氏より模擬像の奉納がありました。奇特の至りで湯殿信仰を物語る貴重な資料であります。
湯殿山本宮
 註 映画は昭和53年(1978)製作


御朱印
御朱印 拡大 (667×960)
 仙人澤 御朱印


出典・脚注
  1. 令和4年4月20日閲覧 当社HP:湯殿山神社(出羽三山神社HP内)
  2. 令和4年4月20日閲覧 Wikipedia:湯殿山神社

改訂記録
  • 令和06.02.15 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。神社庁web神社情報のリンク修正。概要欄を設けた。

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