由緒
元 県社
境内にある掲示には次の様。
山王日枝神社御祭神
鶴岡市 山王町鎮座
本殿 日枝神社 境内社
一宮 大己貴命 厳島神社
二宮 山□之大主大神 八幡神社
三宮 市杵島姫命 稲荷神社
古峯神社
復鎮霊社
沿革年表
(以下判読不能部分多く、転記略、約八百字 下に引用した平成祭礼データとほぼ同文)
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別の掲示には次の様。
日枝神社の祭日
一月 一日 歳旦祭大宝寺年賀祭
二月 八日 鎮火祭
四月十一日 祈年祭
五月十八日 宵祭
五月十八日 春の例大祭
七月十六日 厳島神社例大祭
八月十五日 復鎮霊社祭
九月 九日 秋祭
九月十五日 八幡神社例祭
十月十四日 日枝講祭
十一月十五日 七五三古峯神社例祭
十一月二十四日 新嘗祭
十二月十七日 御歳夜
十二月三十日 御神符焼納祭大祓祭
毎月一日・十五日 月例祭
随時 結婚式・地鎮祭・諸厄払・家内安全・交通安全・進学成就の諸祈願を致します。
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平成祭礼データより
日枝神社 山王日枝の社 鶴岡市山王町鎮座
産土神と氏子
一、大己貴命、山末之大主大神、市杵島姫命、正哉吾勝勝速日天之忍穂耳命、八衢比古神、八衢比賣神、久那斗神、菊理姫命、天津彦火之瓊々杵尊、の三柱と相殿の六柱の神を奉斎致します山王日枝神社は、創建年月は祥ではないが、当地方第一の古社と伝えられ、出羽国田川郡大宝寺村草創の時よりすでにあったお社といわれ、その間この土地に住む人々は、山王日枝神社の御前に、赤き清き心を捧げてひたすら神恩に感謝し、健やかな心身、豊かなる生活の御加護を祈念しています。
日枝神社は古くから「山王様」「お山王はん」として親しまれてきましたが、これは文化十三年以来唱えて参り、元禄十一年以降日吉大神と称え、明治二年四月以降日枝神社と改称、明治六年八月県社に指定され、戦後は五級社となっています。
一、氏子としては明治以前より鶴岡市内の上肴町、七日町、下肴町、八間町、荒町、馬場町、若葉町、鷹匠町、新屋敷町、鳥居町、与力町、日和町、宝町、高町、泉町、高畑町、最上町、大宝寺、文下、茅原及び西田川郡栄村大字本田、、西田川郡京田村大字荒井京田、同郡同村大字覚岸寺を有し、内上肴町、七日町、下肴町、八間町、荒町の五町を町方当屋とし大宝寺、文下、茅原、本田、荒井京田、覚岸寺の六大字を郷方当屋として慶長十七年より交代に神宿奉仕し今日に至まで神事が厳修されています。
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| 雑記
| 最寄駅は羽越本線鶴岡駅で、当社から北(0°)へ0.8kmのところにある。
湯殿山神社・出羽三山神社を巡る一泊二日のバスツアー二日目。宿はほぼ駅前。当社には、朝食前にお参りした。
以下は、当社にお参りしてゐなかったら、知るよしもなかったこと
境内社「復鎮霊社」の案内掲示文を引用
復鎮霊社
徳川家康の長男岡崎三郎信康が、天正七年(1579)九月十五日織田信長より、十二ヶ条の罪状を示され、父、家康の命によって、生母築山殿とともに非情の死を遂げた。この事件に酒井忠次(庄内藩酒井氏の祖)が徳川の重臣としてかかわりをもっていたため、庄内藩では、後年、貞享二年(1685)一社を建て、その霊を弔ったものである。「復鎮霊社」と称したのは、幕府をはばかったためであろう。
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ウィキペディアの岡崎三郎信康(2)を読んだが、通説の他に、家康から信長に忠次を使はして処遇を相談したとの説も記されてゐる。なお、築山殿は今川義元の姪で家康の正室、信康は信長の娘コ姫を妻としてゐた。
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