ホーム山形県 > 鶴岡市

出羽三山神社(山形県鶴岡市羽黒町)

参拝日 令和3年10月3日(日)
作成日 令和4年5月8日(日)
追記日 令和6年2月15日(木)
よみ  でわさんざんじんじゃ
概要  当社(出羽神社)は山形県鶴岡市羽黒町の羽黒山に鎮座する。式内社・国幣小社、現在は別表神社。創建年代は不詳ながら、崇峻天皇の第一皇子であった蜂子皇子とされる。出羽三山(月山、羽黒山、湯殿山)の一つで修験道の中心地であつた。  
所在地 鶴岡市羽黒町手向33  
  (38度42分9.15秒 139度58分52.88秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオンいつもNAVI(ズームレベル15)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 150km×南北 140km の範囲の地図です
・東西150km 南北140km
印:当社位置


地理院地図、東西 73km×南北 59km の範囲の地図です
・東西 72 km × 南北 59 km、
・当社と湯殿山神社の位置に +印と社名を記入
地理院地図、東西 2.0km×南北 1.0km の範囲の地図です
・東西 2.0 km×南北 1.0 km、
・本殿と御朱印を頂いた境内社の位置に 印と社名を記入
    
HP等  山形県神社庁 神社詳細 出羽三山神社
 Wikipedia:出羽神社(いではじんじゃ)
 当社HP:出羽三山神社
祭神 月山神社
 月讀命(つきよみのみこと)

出羽神社
 伊氐波神(いではのかみ)
 稲倉魂命(うかのみたまのみこと)

湯殿山神社
 大山祇命(おおやまつみのみこと)
 大己貴命(おおなむちのみこと)
 少彦名命(すくなひこなのみこと)
由緒  式内社 国幣小社 別表神社
 ウィキペディア 出羽神社の概要欄(1) より
月山、羽黒山、湯殿山を出羽三山と総称され、山岳信仰の対象となってきた。羽黒山は古神道だけでなく、仏教などと融合した修験道中心地の一つとなってきた。
 出羽三山は月山が過去、羽黒山が現在、湯殿山が未来を象徴するとされ、それぞれ月山神社、出羽神社、湯殿山神社が鎮座する。宗教法人としてはこれら三山を一つの法人とし、登録名称は「月山神社出羽神社湯殿山神社(出羽三山神社)」である。羽黒山頂の出羽神社には三神合祭殿があり、宗教法人の本部もここに置かれている。

雑記  最寄の駅は羽越本線鶴岡駅で、当社から西北西(288°)へ13kmのところにある。

 一泊二日のバスツアーの二日目。初日は湯殿山神社でお参りし、本日は羽黒山でお参りして帰るといふ行程。他の観光は無し。なにしろ、7時間余もバスに揺られ、運転手さんの休憩もとらねばならない。
 それでも、連れて行って貰へるのは有難かった。

催しには次の事があり拝観してきた。
  • 蜂子皇子御尊像参拝 丑年御縁年を迎へて東北各地で祀られてゐる皇子の御尊像を一同に会したもので五体が安置されてゐた。
  • 湯殿山御沢仏御尊像参拝 かつて仙人から湯殿山奥の院裏の御滝に続く御沢を拝しながら登る御沢駈けが主要路で、湯殿山に登山できない女性や老人のために寺の堂内に御沢仏を安置しお参りしてゐた。然し、岩が崩れ沢登りが危険と判断され、昭和42年に御沢橋が永久橋となり、一般の方々の御沢駆けが途絶えてゐる。御沢仏は湯殿山の大自然を神格化したもので御神体まで導く神であるといふ。
  • 出羽三山歴史博物館 一般展示。鏡池から出土した銅鏡など
時間がもっと欲しかった。単独行動なら食事時間を割くのだが、団体行動では致し方ない。おまけに、バス車内での食事は不可といふ流行病の最中では、弁当といふ訳にもゆかない。困ったものだ。

「出羽三山神社 随神門周辺案内図」に記載の社
 天童稲荷神社 新森稲荷神社 天地金神社(出羽三山神社 門前之宮) 根裂神社 五十猛神社 大年神社 磐裂神社 天神社 豊玉姫神社 祓川神社 岩戸分神社 下居社 子守神社 大直日神社 保食社・天満神社

湯殿山御沢神社絵図に記載の神社等(参拝の栞より)
 (1)剱の権現、(2)仙人権現、(3)薬師の権現、(-)優姥権現、(4)十三仏、(5)梵天帝釈両部大日大霊権現、(6)御沢八幡八千仏、(7)御藏大黒弁財天、(8)日月灯明仏、(9)胎内権現、(10)青面金剛童子、(-)熊野権現、(11)飯山白衣の権現、(-)飯綱の権現、(12)愛染明王、(-)御滝大聖不動明王、(13)御前五身仏、(14)水波能売権現、(15)御注連(御秘密)八大金剛童子、(16)御流釈迦文殊普賢菩薩、(17)仏生池聖無量寿仏、(18)御裏三宝荒神、(19)大日大霊根源、(20)血の池権現、(21)御釜の権現

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 大鳥居
 位置:随神門から西北西へ距離2.8km ここ(地理院地図)

写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 鳥居の扁額には
 月
 山
湯 
殿 黒
山 山
とある。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 境内社 天地金神社

御朱印
御朱印 拡大 (667×960)
 御朱印 天地金神社



写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 随神門

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 随神門から進んで継子坂を下り祓川の方へ進む
 写真の右から根裂神社、五十猛神社、磐裂神社、大年神社、天神社

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 祓川と祓川神社(はらいがわじんじゃ)、祓川神社の祭神は、(案内掲示より)
  瀬織津比盗_、
  速開津比盗_(はやあきつひめがみ)
  気吹戸主神(いぶきどぬしのかみ)
  速佐須良比盗_(はやさすらひめがみ)
 小さな社は岩戸分神社、背後の崖には須賀の滝がある
 ここから上り坂になる。進むと、爺杉と五重塔がある。

写真6 写真6 拡大 (960×1280)
 爺杉(じじすぎ)
 天然記念物で樹齢1000年以上とされる。昭和26年指定。近くに婆杉があったが明治35年に暴風でたおれた(案内掲示より)

写真7 写真7 拡大 (960×1280)
 五重塔
 国宝。案内掲示には創建伝説や24回の再建・修理の概要が記されてゐる。
五重塔周辺は、江戸初期に廃寺となった宝塔山瀧水寺(ほうとうざんりゅうすいじ)で、五重塔は瀧水寺の塔だった。平安末期奥州秀衡(1122〜87)建立。慶長13年(1608)には心柱の腐れのた底部を切取り、初重からだったものを二重からにした際には一の坂(五重塔からは急な上り坂)から五重目の屋根まで桟橋を掛渡し塔に添えてやぐらを組み、引上げて工事したといふ。

御朱印
御朱印 拡大 (649×960)
 御朱印 五重塔

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 三神合祭殿近くの駐車場から三神合祭殿へ行く途中の鳥居

写真10 写真10 拡大 (1280×960)
 三神合祭殿

御朱印
御朱印 拡大 (1280×960)
  御朱印 出羽三山神社
 

写真11 写真11 拡大 (1280×960)
 境内社 蜂子神社

写真12 写真12 拡大 (1280×960)
 拝殿内


御朱印
御朱印 拡大 (712×960)
 御朱印 蜂子神社

写真13 写真13 拡大 (1280×960)
 境内社 東照社

写真14 写真14 拡大 (1280×960)
 境内社 東照社

御朱印
御朱印 拡大 (665×960)
 御朱印 東照社

写真15 写真15 拡大 (1280×960)
 境内社 天宥社
 天宥別当は、羽黒山中興の祖

御朱印
御朱印 拡大 (692×960)
 御朱印 天宥社

写真16 写真16 拡大 (1280×960)
 境内社。手前(東照社に近い方)から、神輿庫、大雷神社、健角身神社、稲荷神社、大山祗神社、白山神社、思兼神社、八坂神社


写真17 写真17 拡大 (1280×960)
 祖霊を祀ってゐる。向ひには霊祭殿がある。
 写真の建物は羽黒山千佛堂。神仏分離令で山内から失われてゐた仏像250体を安置してゐる。酒田市の篤志家が収集し、後に神社に奉納したもの。三神合祭殿と霊祭殿の間にあり廊下で結ばれてゐる。


出典・脚注
  1. 『令和4年5月7日閲覧 Wikipedia:出羽神社(いではじんじゃ)

改訂記録
  • 令和06.02.15 (1)ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。(2)神社庁web神社情報のリンク修正。(3)概要欄を設けた。

文頭へ移動

inserted by FC2 system