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弘道館 鹿島神社 (茨城県水戸市三の丸)

作成日 平成29年04月15日
よみ  かしまじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年8月7日(日)
所在地  水戸市三の丸1 (北緯36度22分30.91秒 東経140度28分35.50秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  
祭神  武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)
由緒  境内の掲示には次のやうにあった。
弘道館鹿島神社
祭神  武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)
創建  安政四年(1857)五月九日
由緒  水戸藩第九代藩主徳川斉昭公(烈公)は天保九年(1838)水戸学大道の象徴たる藩校弘道館の仮会館に際して、仁孝天皇の勅許を得て神殿を造営し、同十一年(1800)九月、潮田巧蔵に命じて、校内に武甕槌大神を祀る意志を宣言した『弘道館記』を真弓産の大理石に刻らしめ、安政四年(1857)五月九日、常陸国一ノ宮鹿島神社の御分霊を遷祀し、更に斉昭公が自ら鍛えた「葵くずし八雲鍛え」の太刀を奉拝して御神体に擬え弘道館に魂を入れて本開館となりました。
(太刀は水戸市指定重要文化財・県立歴史館保管)
 明治四年(1871)一月郷社に定められ、水戸城東二十六ケ町並びに茨城郡の内小幡、橋場美新田、先後新田、吉沼、下座、下雨谷、世楽、佐才新田、上吉影、以上九ヶ村を氏子に附けられ明治十五年(1882)一月二十八日県社に列しました。
 武甕槌大神は日本国建国の祖神と仰がれ、孔子廟と共に文武兼備の貴神と尊崇され、昭憲皇太后や昭和天皇が御親拝遊ばされました。
 御社殿は戦災で烏有に帰し、戦後しばらくは仮殿でしたが、昭和四十九年第六十回伊勢神宮式年遷宮の折、皇大神宮別宮の「風日祈宮(かざひのみのみや)」の旧殿一式が特別譲与され、昭和五十年五月九日伊勢皇大神宮の別宮一社のすべてを移築した全国唯一の荘厳な神明造りの御神殿が完成し、盛大な例大祭と竣工奉告際が齋行されました。尚本神社の神輿は北関東最大級です。
主な祭祀と年間行事
 元旦祭 一月一日 午前零時齋行。
 節分祭 二月節分の日 福引・撒物・縁起物等。
 例大祭 五月九日 神輿の渡御があります。
 七五三祭 十一月中
 水戸の梅まつり 二月下旬〜三月下旬
 水戸黄門まつり 八月上旬 中心市街地を十数基の神輿渡御。
御神徳
 家内安全・交通安全・旅行安全・武道上達・学業(合格)成就・諸災消除・商売繁盛・財運向上・健康長寿・安産子育。
   平成十五年七月吉日
宮司 千種重樹 謹書
雑記  常磐線水戸駅の北0.5kmにある。弘道館公園内に鎮座してゐる。八卦堂は境内にあるのかと思ってゐたが、公園内設備のやうだ。弘道館の敷地は家老職・重鎮の住んでゐた所で5万4000坪の広さだったといふ。入学年令は十五歳で、四十歳以上は任意で通学し、卒業は無く、生涯学習の場であった。

八卦堂・弘道館記念碑 について
 八卦堂は八角で、各面に八卦の算木さ取付けられてゐる。弘道館記念碑を納めてゐる。創建時のものは、昭和20年(1945)に焼夷弾を受けて焼失し、昭和28年(1953)に再建された。
 弘道館碑は、「弘道館記」を刻んだ常陸太田市真弓山産出の寒水石と呼ばれる大理石の石碑で、文は、藤田東湖(東湖神社の祭神)が草案を作り、斉昭公の名で公表された。弘道館設立の目的や教育方針が表されてゐる。碑文と読下し文は茨城県水戸土木事務所 偕楽公園課 弘道館事務所のサイト内の弘道館記(PDF)にある。
 碑は八卦堂焼失時に焼けたため八卦堂復元時にコンクリートで包むなどの処置を施し、昭和47年には碑身を樹脂やFRPを使った修復がなされてゐた。平成23年の震災で碑身の一部が崩落したため樹脂を用いて石碑を強化するなど修復工事を施されてゐる(平成25年11月完了)。

写真


社殿は北向き

御本殿

八卦堂。弘道館記碑が納めてある。



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