よみ
| つくばさん じんじゃ
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男体山御本殿・女体山御本殿
筑波山神社本社(拝殿)
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参拝日
| 平成29年5月12日(金)
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所在地
| つくば市筑波1番地 (拝殿:北緯36度12分49.23秒 東経140度6分4.64秒)
地図:地理院地図(拝殿
筑波山頂)
いつもNAVI
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HP等
| 茨城県神社庁 神社詳細 筑波山神社
Wikipedia:筑波山神社
当社HP
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祭神
| 筑波男大神 伊弉諾尊
筑波女大神 伊弉冊尊
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由緒1
| 式内社・旧県社・別表神社
碑文には次のやうにある。
筑波山神社御造営由来記
筑波山は、伊弉諾尊・伊弉冉尊二神御降臨の霊山で、西峰に男大神、東峰に女大神を祀り、筑波山神社と崇め奉る。世々筑波国造が奉仕し
嵯峨天皇の弘仁十四年正月官社となり、延喜式明~大社に列す。
慶長の初め徳川家康は、当山を以て江戸城鎮護将軍家第一等の御祈願所と定め、寛永十年十一月三代将軍家光は山内の諸社堂伽藍を悉く寄進造営し輪奐その美を尽す。御神領千五百石。元治元年の筑波山義挙を経て、明治元年三月、新鬱分離の令により当山は神体山信仰の古例に復し、明治八年拝殿を造営す。
その後、昭和三年四月文部省古社寺保存課安間立雄技手の設計監理にて唐破風千鳥破風付銅板葺入母屋造りに改修し、昭和三十年五月男体山御本殿を改築す。
昭和五十一年五月二十四日・二十五日の両日
天王・皇后両陛下 当山に御幸啓遊ばされ、全山を挙げて御聖代を謳歌し奉る。越えて昭和五十四年五月御本殿造営奉賛会を結成して、六十五年の風雪に堪えた女体山御本殿を改築し、更に記念事業として九十五年前建築の社務所に代え、「人民集賀」と御神徳を称えた常陸風土記縁りの参集殿を建立して千手堂に三重塔を配した江戸時代の結構の再現、及び百年前に亜鉛板で仮葺きした随神門屋根の改修をはかり、氏子崇敬者からの浄財寄進により左の事業を行い、明治以来の宿願を達成す。
女体山御本殿 守礼授与所改築
神明造銅板葺 昭和五十五年五月竣工
参集殿 新築 昭和五十七年四月竣工
○屋根唐破風付銅板葺入母屋造り
随神門屋根銅板葺替 昭和五十九年八月竣工
明年 筑波研究学園都市に於いて開催される世紀の祭典科学万博つくば'85を迎えるに当り、御造営の由来を録して広大無辺なる神明の加護を深く感謝し、天下泰平国家安全、万民弥栄を精祈するものである。
昭和五十九年九月吉日
筑波山神社御本殿御造営奉賛会
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由緒2
| 境内社や主立った施設の前に社務所名で案内板が立てられてゐる。次のやうに記されてゐる。
厳島神社(県指定文化財)
御祭神 市杵島姫命
春日造 間口一間半 奥行十尺
寛永十年十一月(1633)三代将軍家光公寄進
琵琶湖の竹生島より御分霊を祀る。
蟇股の巳、虹梁の猪、脇障子の翁と媼など壮麗な彫り物がちりばめられ、池を含めて社殿全体をみると、水に浮んだ島の上に鎮座していることがわかる。
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日枝神社・春日神社・拝殿 (県指定文化財)
日枝神社(東)御祭神 大山咋神
春日神社(西)御祭神 武甕槌神 経津主神 天児屋根神 比売神
両本殿 三間社流造 間口二間 奥行二間
拝殿 入母屋造 正・背面中央軒唐破風 割拝殿形式 間口六間 奥行二間
寛永十年十一月(1633)三代将軍家光公寄進
延暦の初、奈良興福寺の高僧徳一大士(恵美押勝の子)諾冊二尊を拝し筑波山知足院中善寺を開基し、その鎮守社として藤原氏に縁の深い両社を勧請したと伝わる。
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朝日稲荷神社(あさひいなりじんじゃ)(通称 出世稲荷)
御祭神 太田命(おおたのみこと) 大宮能売命(おおみやのめのみこと)
流造 間口二尺五寸 奥行二尺五寸
嵯峨天皇の皇子 常陸太守忠良親王御創建
再建年代不詳
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雑記
| 筑波山南麓の標高凡そ260mの所に本社(拝殿)がある。つくばエクスプレス線つくば駅から北へ14kmの所にある。駅前からバスの便がある。
筑波山の西の頂(871m)に男体山御本殿、東の頂(877m)に女体山御本殿がある。ケーブルカーで標高800m(標高差495m)まで登れる。両頂き頂上付近は岩場で手をつきながら登つた。
男体山御本殿への岩場には冬期に事故があった旨注意を求めてゐる。
女体山山頂へも男体山よりは緩やかな登りだが岩場を登るところもある。頂上は遮るものが無く、眺めが良い。少々霞んでゐるものの、田植の終った田んぼ美しい。何時までも眺めてゐたいが、狭い所で長居できない。
大人でも大変な所を小学校低学年の子供達が大勢登ってゐる。行違ふ際、挨拶を良くしてくれる組もあれば、それほどでもない組もある。引率する先生次第なのかな。
下りのケーブルカーには満員の心配をしたが、まだ昼時だったためか空いてゐた。麓へ降りてから聞いたところ、金曜日は遠足が多いのださうだ。
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