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一ノ矢八坂神社(茨城県つくば市玉取)

作成日 平成29年11月11日
よみ  いちのや やさか じんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年5月12日(金)
所在地  つくば市玉取2617 (北緯36度7分28.38秒 東経140度5分52.19秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  茨城県神社庁 神社詳細 一ノ矢八坂神社  当社HP
祭神  素戔嗚尊
由緒  旧郷社
 『府県郷社明治神社誌料』(1)には次のやうにある。
創建は社伝に拠るに清和天皇貞観元年、山城国愛宕郡鎮座八坂神社を勧請せるなりと、朱雀天皇天慶年中藤原秀郷厚く崇敬し常に祈る所ありしが、携ふる所の弓筒を奉り、正知年中八田知家小田に居住以来代々崇敬し奉り、又建武年中万里小路藤房小田に在りし時屡々参拝せられたり、永禄天正の間、兵燹に罹り、社殿蕩尽遺す所なかりしが、文禄の初め再建す、後、延宝年中堀通周是地に領主たるや厚く崇敬し、先づ同四年四月通周本殿を改築し、次いで宝永八年三月、同利寿拝殿を再建、且延宝より明和三年に至る、毎年玄米十三俵寄せ奉れり、明治六年郷社に列せらる、社殿は本殿、拝殿、其他社務所、参籠所等あり、境内は二千八百二十七坪(官有地第一種)松杉欅樅森々として叢生し昼尚暗し。
境内にある教育委員会による掲示には次のやうに記されてゐる。
一ノ矢八坂神社
■一の矢八坂神社本殿 県指定建造物 昭和三十四年五月二十二日指定
■一の矢八坂神社拝殿 県指定建造物 昭和五十九年九月一日指定
■一の矢八坂神社覆殿 県指定建造物 昭和五十九年九月一日指定
■瑞花雙鳥八稜鏡   県指定工芸品 昭和四十年二月二十四日指定
■一ノ矢の大けやき  県指定天然記念物 昭和三十三年三月十二日指定
○社殿によれば、当社の創立は平安時代初期貞観年中といわれる。
 また一ノ矢の地名にまつわる伝説によれば、むかし友永という勇士があって、三本足の鳥を射たところ、一の矢二の矢では射損じ、ようやく三の矢で射止めた。その一の矢の落ちたところから一ノ矢というようになったと伝えられている。
 中世には当地の領主小田氏の崇敬を受け、小田氏寄進と伝えられる古鏡二面が現存する。
○本殿は一間社流造り。縁下の部分と縁上の部分とが別個につくられているのが珍しい。彫刻を多用し、柱や壁面に地紋彫を施している。
 「奉再建牛頭天王宮壱宇成就攸」と記す棟札二枚が現存し、一つは延宝四年(1676)、一つは宝永八年(1711)の紀年がある。このことから社伝では本殿は延宝、拝殿は宝永の造立であると伝える。しかし、蟇股などの様式や彫刻などの細部意匠から判断するならば、宝永の造立と考えられる。この本殿は以後流行する豪華な社寺建築の先駆をなすものとして貴重である。
 拝殿は本殿よりややおくれて作られたと推定され、本殿の覆殿と共に、神社建築の配置形式を良く残している。
○大くの御神宝のなかに瑞花雙鳥八稜鏡がある。白銅製で圏線をもって内外の両区を分け、内区に花文座鈕を中心に旋転する瑞花と鳥を交互に配している。外区は一連の唐草文と羽を広げた胡蝶をおく。南北朝時代の作である。
○境内の欅は当社の由緒を伝える、樹齢850年以上の古木で、樹高は30メートル余、樹周は目通10メートルを越す巨木である。近年主幹上部を折損し、僅かに残された枝で樹命を保っているのが惜しまれる。
(本殿写真略) (瑞花雙鳥八稜鏡写真略)
平成十年三月 つくば市教育委員会
雑記  つくばエクスプレス線つくば駅から北北西へ4.8kmの所にある。

 筑波山神社からの帰り(つくば駅へ向ふ)の途中、バスを降りて訪れた。境内は樹木が多く、緑が美しい。ただ、教育委員会案内板にある大欅はどれか判らなかつた。枯れたのだらうか。
 境内に、稲荷神社、天満宮、岩大日社(室大日祠)があった。例大祭は「にんにく祭り」とよばれてゐるといふ。

写真

二の鳥居。柱に別当薬王院の名が読める。




御本殿

昭和二十八年七月吉日建之、茨城県筑波郡大穂町、とあり、250名余の戦没者名が刻まれてゐる。第五代靖国神社宮司 筑波藤麿 の書。

脚注
  1.  『府県郷社明治神社誌料』明治神社誌料編纂所編 明治45年(1912)刊 茨城県之部 (国立国会図書館デジタルコレクシヨン 明治神社誌料 : 府県郷社. 上 コマ番号621) 引用文の漢字は現在通用の字体に置換へた。


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