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二荒山神社 神橋(栃木県日光山内)

作成日 平成29年4月29日
よみ  しんきょう 地理院地図
参拝日  平成28年8月11日(木)
所在地  日光市山内 (北緯36度45分11.88秒 東経139度36分14.44秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  当社HP内 神橋
祭神  
由緒  勝道上人の日光開山に際して橋が架けられた。
 上記リンク先(神橋)に詳しい。
雑記  参道入口の大谷川(だいやがわ)に掛ってゐる。橋は歩けたが、対岸に渡る事は許されず日光市内側に戻って、国道の橋を渡った。
 勝道(しょうどう)上人が大谷川を渡らうとしたが、急峻で難儀したといふが、そんなに崖が高い(深い)とも思へない。男体山に登る人なら渡れさうだ。

 井上公夫氏[1]によると、当時の河床は下刻が進み深い谷だったと考へられてゐるといふ。
 1500年代以降、災害記録が多く、享保八年(1723)頃まで土砂流出が活発で、川床が上がり、日光・今市間の紡錘状扇状地の形成へとつながってゐる。寛文二年には稲荷川と大谷川の合流付近の左岸側(東側)にあった稲荷町が土砂災害で被災し、現在地(東武日光駅北西)に移転したといふ。
 明治35年の洪水は、神橋の修復のために足場が架けられてゐたが、それに流木が塞き止められ、水位が上昇し、決壊洪水が流下したことが原因とも言はれてゐる。死者・行方不明者219人であった。
 大正年間には砂防工事が始ってゐる。
 主な災害
  ( 782   天応二年二荒山神社建立)
   1532-54 天文年中白髭大洪水
  (1617   元和三年 東照宮完成)
   1662   寛文二年 大土砂災害
   1683   天和三年 日光大地震
   1902   明治35年 洪水(神橋流出)

 地震や大雨はいつ起るか判らない。大鹿落しといふ崩壊地は依然存在してをり、砂の溜った砂防ダムでは防ぎきれない土石流が発生するのではないかと心配になってくる。それでも、予報と避難は出来てゐてほしい。

写真




脚注
  1.  平成29年4月25日閲覧 五大開発(株)が主催の「いさぼうネット」シリーズコラム 歴史的大規模土砂災害地点を歩く「コラム11: 寛文二年(1662)の日光大災害」(一財)砂防フロンティア整備推進機構 井上公夫


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