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前橋東照宮(群馬県前橋市大手町)

作成日 平成29年10月21日
よみ  まえばし とうしょうぐう 地理院地図
参拝日  平成29年3月24日(金)
所在地  前橋市大手町3-13-19 (北緯36度23分40.60秒 東経139度3分44.14秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  Wikipedia:前橋東照宮  当社HP
祭神  徳川家康公
 木花咲耶姫
 菅原道真公
 長壁様
由緒  県社、正式名称は「東照宮」。
 当社HPには次のやうに掲載されてゐる(1)
前橋東照宮は江戸初期の大名松平直基公が幕府より最初に賜った領地、越前勝山(福井県)にて寛永元年(1624年)に創建した神社でございます。
江戸時代中期に松平家が各地の転勤を経て姫路城より前橋城に入城しましたが、大洪水の被害を受け、松平家は一時武州川越(埼玉県)に居住しておりました。
その時に川越で現在の社殿はご造営されました。江戸時代末期に前橋城が洪水の被害より復旧し、松平家は川越よりこの前橋の地へ戻ることとなります。
これに伴い、川越で築かれた社殿は一度解体され、現在の地に運ばれて明治維新を経て、明治4年に再築されたのでございます。
以後、現在に至るまで前橋の安全と平和を見守り続けております。
雑記  群馬県庁(前橋城本丸のあった位置)から北北西へ0.4km余のところにある。両毛線前橋駅からは北西に1.6kmの所になる。

 御祭神の長壁様(長壁姫)は祟る神といふ。姫路城の天守閣に祀られてゐたが、前橋城入城の際、城内未申(南西)の方角に神社を建立した。のち、川越城に移る際、長壁様を川越には移さなかったところ藩主朝矩が直後に若死したといふ。明治31年に東照宮に合祀された。
 ゼンリンの いつもNAVI をみると長壁神社の表示(地図)があるが、祭祀は行はれてゐない祠が残つてゐるといふ事だらうか。訪ねてみると良かつた。

写真



境内社 廐橋護国神社
「廐橋」は「前橋」の旧称で、江戸時代に改められた。

同左 
前橋市出身の英霊2346柱を祀るといふ。明治十年創建、明治十二年建立の石碑「廐橋招魂祠記」がある。

境内社 営築稲荷神社
文久三年(1863)創建、前橋城再築工事の安全祈願のため勧請


脚注
  1.  平成29年10月18日閲覧 当社HP


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