神社訪問記ホーム(都道府県の選択)群馬県の神社にもどる

諏訪神社(群馬県下仁田町)

作成日 平成29年10月2日
よみ  すわじんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年3月22日(水)
所在地  下仁田町大字下仁田319番地 (北緯36度12分38.55秒 東経138度46分53.36秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  
祭神  建御名方命(たけみなかたのかみ)
由緒  旧村社。
 「玉垣造営記念碑」があり、背面には次の文書がある。
當諏訪神社は下仁田町外六ヶ村の総鎮守として古く信濃國諏訪神社を勧請す 明治年間には老樹鬱蒼として高雅精巧の彫刻ある総欅造の社殿を覆ひ此を廻らすに鑄鐵製の柵を以てせり 大東亜戦争の勃発するや當柵を供出するに至る 戦後平和は回復せしも民心徒らに新しきを追ひ民族固有の信念を顧みず神社境内の諸施設の荒廢見るに忍びざるものあり 茲に昭和三十四年十月氏子の浄財により三殿に金網を圍らし保全を期したりしが昭和三十五年尊厳維持の為の玉垣再建の議起り舊柵址に信州産安原石を以てせんとす 賛する者の援助相次ぎ其の完成を見たるは真に神人一如の實を挙ぐるものと言ふべく町民の彌榮を冀うて喜び之れに過ぐるものなし 謹んで篤志者の芳名を刻し其の意のある所を永く後世に傅へ人心を新たにし正道の啓發に資するところ有らば幸なり
  昭和三十五寅子年十月十七日
    日本学士院会員東京大學名誉教授
        文學博士市河三喜撰謹書


【参考】 碑文は正字が使はれてゐる。転記に際し、字体の大きく異なる場合は正字を使用した。また、読みやすさのため文末に半角挿入した。主なものは次の通り。
   當:当 國:国 鑄鐵:鋳鉄 發:発 廢:廃 圍:囲 舊:旧 實:実 彌:弥 榮:栄 傅:伝 學:学

 社殿は天保八年(1837)に再建、境内社の近頭(ママ)神社は天保五年(1834)に再建された、棟梁は信州諏訪市の矢崎善四郎(善司)とその弟子たちである、といふ(1)
 創建は、戦国時代に八幡神社があったところに諏訪神社を勧請した。また、明治四十一年に近隣六ヶ村内の神社を合祀したといふ。(2)
雑記  上信電鉄下仁田駅から西へ0.4kmの所にある。

 当社を紹介してゐるサイトを見ると、鳥居は朱塗、社号標は「村社諏訪神社」と彫られてゐる。平成28年10月より前の撮影なのだらう。

写真

鳥居は「平成28年十月吉日」と年記がある。
社号標には「紀元二千六百年祭 昭和十三年二月十一日建之」とある。

向って右手にある社殿は「近戸神社」


拡大(191kb)

御本殿 拡大(189kb)

近戸神社 拡大(233kb)

脚注
  1.  平成29年10月2日閲覧 下仁田町 町の文化財(諏訪神社の彫刻など)
  2.  平成29年10月2日閲覧 龍の謂れとかたち内の 下仁田諏訪神社本殿の龍の彫刻下仁田諏訪神社拝殿の龍の彫刻 及び 下仁田諏訪神社の境内社近戸神社の龍の彫刻


inserted by FC2 system