よみ
| ひえ じんじゃ
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参拝日
| 平成28年9月3日(土)
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所在地
| 川越市小仙波町1-4-1 (北緯35度55分4.5秒 東経139度29分24.7秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP等
| 埼玉県神社庁 日枝神社
Wikipedia 日枝神社
喜多院HP内日枝神社
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祭神
| 大山咋神
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由緒
| 旧県社。
境内の石碑には次のやうにある。
国宝日枝神社沿革碑 喜多院第五十七世文学博士已講大僧正塩入亮忠題額
吾々の鎮守さま日枝神社は天長七年比叡山天台宗の宗祖伝教大師の高弟第三座主慈
覚大師が仏法弘通の為三芳野の里に来て星野山を開き喜多院を創建した際に一山の
鎮守として比叡山麓の日吉大社の神霊を遷祀したものである その神霊は同社の主
神東本宮の大山咋神で素盞嗚神の御孫に当り又の御名は山末之大主神と申され比叡
山の地主神である 又東京都赤坂山王台の日枝神社は川越城を築いた太田道灌が文
明十年六月廾五日○○仙波から江戸城中に勧請し初めは城内北曲輪に分祀したのが
それである 当社は後奈良天皇天文六年七月兵燹に罹つて烏有に帰したまゝ荏苒年
を経て慶長年間徳川幕府に依て再建され爾来瀑布の修営社となり明治二年神仏分離
令により喜多院の管理を解かれ明治五年村社に列せられた 氏子の手に移管されて
から拝殿を新築したが本殿は実に桃山時代の古建造物とて頽廃甚しいものがあるの
で紀元二六00年記念事業として之が修理を計画したところ太平洋戦争となり川越
市は幸い戦禍を免れたので当社本殿附宮殿は昭和廾一年十一月廾九日喜多院東照宮
と共に国宝に指定され同廾五年八月廾九日重要文化財となり東照宮修理の次同卅七
年七月工費金壱八五万円の内九割を本県及び本市より各金八万円の補助金を受けて
修理に着工同卅八年十月十五日竣工式を挙ぐるに至つて今や再建当時の面影を忍ぶ
社殿に見事復元したのである 当社の財産は明治四十四年村有財産の寄附があり宅
地五一三坪余田畑合せて七反余を保有したが昭和廾三年農地改革の為全部解放の厄
に遭い今は唯境内三の一坪を昭和廾四年五月財務局から無償譲与を受け境外地とし
で非農地五畝余宅地四八坪余を有するもののみである矣
昭和四十年四月初申
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碑文は漢字は正漢字を使用してゐるが、転記には現在通用の字体に代えた
例 當→当、國寶→国宝、
参考 兵燹:へいせん 「燹」は野火の意。
荏苒:じんぜん・にんぜん 延び延びとなるさま、歳月が移りゆくままに
喜多院境内にあったが、県道建設のため大正時代に仙波古墳群という前方後円墳を 開削して喜多院門前に移転した。
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雑記
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丈
明治三十三年(1900)撮影の写真が掲げられてゐて、御神木、古墳頂上の日枝の大杉、多宝塔、明星の杉などが写ってゐる。
道路建設のため多宝塔は喜多院内に移され、大杉は伐採、古墳の半分は削られたといふ。
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