由緒
| 二種の案内板がありそれぞれ、次のやうに記されてゐる。
一つ目(横書)。設置者名は記されてゐないので、喜多院によるものと思はれる。
明星社と明星杉
鎌倉時代1296年(永仁4年)尊海僧正(そんかいそうじょう)が喜多院再興の為に訪れた時には、ここに池があったと言われています。
尊海僧正がその池の前を通った時に、池の中から光が浮び上がり、そばにあった杉の木の上でしばらく光り耀いた後、空高く飛び立ったという伝説があります。
その伝説から、喜多院の山号を星野山(せいやさん)と称し、この地の字名を明星と称します。現在は、霊地の跡に社殿を建て、新しい杉の木が植えられています。
(以下略 英文)
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二つ目。
喜多院 伝承 一口郷土史・・・・・通行参観の方々へ・・・・・
巨木 明星杉 跡地 (みょうじょう すぎ あとち)
昭和廿三年 不慮の火災で焼失したが 此処に樹齢千余年の巨杉(明星杉)が喜多院の艮(うしとら鬼門)を守り 樹下に明星坊、星行坊などの学寮がありました。
(喜多院 天保古地図参照)
千百年前、円仁 慈覚大師 が無量寿寺を開山、七百余年前 喜多院中興の祖、尊海僧正が当時の此の杉の梢に耀く午黄の明星に霊感を得て星野山中興の基を確立された由緒の地です。
陳者、付近には昭和廿年頃までは類似の巨木 大杉が数多くありましたが都市開発の余波を被り林影は隣の日枝神社鎮守の森にわずか残るのみとなっております。
喜多院 塩入亮善大僧正が明星杉跡地にご鋭意 建立した祠と代木が後世に営々と伝わることを祈願して止まぬものであります。
平成廿一年 水無月 朔 仙波町内公民館 付近保善諸有志
(参考 陳者:のぶれば 陳:のべる 者:助詞の は )
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