よみ
| うきしまいなり じんじゃ
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参拝日
| 平成28年9月3日(土)
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所在地
| 川越市久保町(くぼまち)17 (北緯35度55分15.03秒 東経139度29分27.56秒)
地図:地理院地図
いつもNAVI
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HP
| 埼玉県神社庁 浮島稲荷神社
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祭神
| 倉稲魂命
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由緒
| 境内の碑には次のやうに記されてゐる。
浮島神社碑
此社地一帯を称して昔は多能武沢といひ三芳野里の内にして眺
望殊に勝れ古より雁の名所として詩歌により名高く武蔵名所考
にも記載あり而して川越史蹟にして附近に夜奈川七ッ釜片葉の葦
等の伝記あり境内は所謂浮島にて小丘に稲荷社を祀る伝云太曰
道真川越城之守護神として祀り崇敬有しと御祭神倉稲魂命にて
古来より尊崇篤く安産乃神として霊験あらたかにして麻を納む
るの風習あり社記云元は浮島末広稲荷神社と称し別当福寿坊祭
祀を司る文政九年久保町より石華表を奉納し天保十一年社殿の
再建有又神泉を清め石橋を設け浄水盤石を寄進せり明治維新之
後浮島稲荷神社と改称し大正四年御大典記念に本社拝殿等改築
同七年社務所を新築昭和六年社有地と隣地との無償交換成立し
以て境内の拡張を計り其神域を清浄に整備し植栽献灯風致を添
え崇敬者常に協力一致其神徳をたかめたり今茲に後期に千六百
年を祝福し社祠之概要を記し以て後世に伝へる乃巳
川越市史料嘱託 岸 傳平撰文書
題字 西村梧雲筆
裏面 昭和十六年十月建設 久保町町内会
*正字体を現在通用してゐる字体に代へて転記した(例 澤→沢 傅→伝 )
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雑記
| 川越線川越駅から北北東へ1.6kmの所にある。明治期の迅速地図をみると2000坪くらいの池が社殿の北北東方向に記されてゐる。
境内に碑があり、次のやうに記されてゐる。
表面
浮島稲荷神社周辺
片葉の葦叢生の所
裏面
昔、神社の裏側には清水町と呼ばれた湧水の地があり、川越城七不思議に教えられる、「夜奈川」と云う流れや、「七つ釜」といわれる泥深い所もあり、社域は水中に浮ぶ如く、川越きっての景勝の地で、浮島と云う社名もそこから起ったものと思われる。
その後、水は枯れ埋立てられて市街地化し、今は以前の面影はないが、古くは「片葉の芦」と称する芦が叢生し、和歌にも詠まれ、いとも風雅であった。
もはや、古しえを忍ぶよすがもないが、せめて、碑を建て想い出とし語り草とする。
昭和五十六年文化の日建立 勲四等 卒寿 山崎嘉七
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鳥居には文政九酉戌歳十一月吉祥日と刻まれてゐる。社碑にある石華表と思はれる。(文政九年は1826年)
川越市による昭和五十七年の案内板もあり、創建について、「言い伝えによれば、大昔、星野山(今の喜多院)にあったのを慈覚大師が喜多院を開いたときここに移したとか、また一説には、太田道灌の父太田道真(どうしん)が川越城を築城した際に、城の守護神としてこの地に祀ったものとも伝えられている。」と記されてゐる。
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