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御嶽神社(埼玉県川越市郭町)

作成日 平成29年6月11日
よみ  おんたけ じんじゃ 地理院地図
参拝日  平成28年9月3日(土)
所在地  川越市郭町2 (北緯35度55分23.52秒 東経139度29分26.21秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  Facebook:富士見櫓跡 御嶽神社  当社HP
祭神  天之御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊弉那岐神、伊弉那美神、天照大御神、国常立命、大己貴命、少彦名命、御嶽大神、天祇八百萬、地祇八百萬
由緒  名称は「神道大教 木曽御嶽川越大教会」。当社HPには、「明治12年10月14日に川越城富士見櫓跡に御分霊を奉祀し、木曾御嶽一心講社を設立。昭和17年には神道大教本局の直属となり、木曾御嶽大教会と名称を変えて現在に至」るとある。
 境内に明治十五年六月建立の「御嶽神社遙拝所碑」があり、「信州之為形勢自古称全国中最高之地地御嶽山在子其西筑摩郡御嶽村」で始る300余文字が刻まれてゐる。
雑記  川越線川越駅から北北西へ1.9kmの小山の上にある。
 当社の他に、冨士浅間神社(明治四十一年創建、富士山本宮冨士浅間神社を勧請)、富士見稲荷神社(大正十一年創建、京都伏見稲荷神社を勧請)がある。
 小山の麓には、富士見跡の案内板があり、次のやうに記されてゐる。
富士見櫓跡
所在地 川越市郭町二丁目

 御嶽神社(おんたけじんじゃ)が祀られているこの高台は、かつては川越城の富士見櫓が建てられていたところである。
 櫓は矢倉とも書いて、合戦の際に物見として、あるいは防戦の足場として、城壁や城門の高い場所に設けられた建物を意味するが、天守閣の無かった川越城には東北の隅に二重の虎櫓、本丸の北に菱櫓、西南の隅に三層の富士見櫓があって、城の中で一番高い所にあった富士見櫓が天守閣の代りとなっていたと思われる。
 今日では木々や建物のため、すっかり眺望も失われてしまったが、その昔はこの高台に立てば、富士見櫓の名の通り遠く富士山までも望めたことであろう。
 元来の城の構造及び建造物は戦略上の都合もあって、その大部分が明らかにされることはなく、正確な規模は分らないが、江戸末期の慶応二年(1866)に川越城を測量した時の記録によれば、この富士見櫓は長さ八間三尺(約十五メートル)、横八間(約十四メートル)あったと記されている。
   昭和五十七年三月
埼玉県(*)
* 「埼玉県」の上に「川越市」と貼ってあったのが剥がれているのかもしれない
 Facebookによれば、市公園整備課は平成29年3月に「富士見櫓跡に密集してしている樹木が、倒木や枝落ち、また土塁の損傷や事故など懸念されている為、大楠と大イチョウなど数本を残し他の樹木は伐採する」という。

写真

左:御嶽神社、右:冨士浅間神社

御嶽神社

冨士浅間神社

富士見稲荷神社

稲荷社の社殿(前年、木の枝が落ちて社殿を修復してあったが、本年も同じ木の大枝が落ちて損傷した)


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