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玉敷神社 (埼玉県加須市騎西)

作成日 令和元年5月4日
よみ  たましき じんじゃ 地理院地図、東西 1.13km×南北 0.84km の範囲の地図です
(東西 1.13 km×南北 0.84 km)
参拝日  平成30年1月24日(水)
所在地  埼玉県加須市騎西552-1 (北緯36度6分26.59秒 東経139度34分10.88秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  Wikipedia:玉敷神社  当社HP
祭神  大己貴命(おおなむちのみこと)
由緒  境内の掲示には次のやうにある。振仮名は小さな文字で( )内に記した。
玉敷神社

 主祭神 大己貴命(別の御名 大国主神)

《御由緒》 当神社は第四十二代文武天皇の大宝三年(703)、東山道鎮撫使〈多治比真人三宅麿(たじのひのまひとみやけまろ)〉により創建されたと伝えられ(一説に第十三代成務天皇六年(136)、武蔵国造(むさしのくにのみやつこ)〈兄多毛比命(えたもひのみこと)〉によるという)、平安時代第六十代醍醐天皇の延長五年(927)に公布された、律令の施行細則「延喜式」の神名帳(じんみょうちょう)にその名を載せる、いわゆる「延喜式内」の由緒ある古社である。
 以後、幾多の歳月を経て戦国時代に至り、天正二年(1574)越後の上杉謙信が当国に出兵の折り、当時正能村(現当町正能)に在った当神社はその兵火にかかり炎上、古文書・社宝など悉く失われた。従って、それ以前の神社の歴史は明らかではない。
 江戸時代に入り、寛永四年(1627)の頃、騎西城主〈大久保加賀守忠職(ただもと)〉によって現在の地に遷座、以来明治維新に至るまで、当神社は「勅願所玉敷神社久伊豆大明神(ひさいずだいみょうじん)」と称されて、埼玉郡(さいたまのこおり)(現南北両埼玉郡)の総鎮守、また騎西領四十八ヶ村の総氏神として尊崇され、厄除を始めとするその多くの御神徳は厚い信仰を集めていた。
 この広範な領域に及んだ信仰は今日なお受け継がれ、二百年以上の昔から伝わる当神社独特の祓えの行事「お獅子様(おししまさ)」を行う所は、当騎西町を中心とする県東北部の二十三の市町村並びに群馬・茨城両県の一・二の町の大字小字の地区にまで広がっている。
 また、当神社には三百年を超える伝統を持ち、江戸神楽の原形を伝える国指定(平成二十年)重要無形民俗文化財「玉敷神社神楽」が保存され、年四回、祭礼の祈りに素朴で優雅な舞を披露している。
    読み  正能:しょうのう  騎西:きさい
雑記  東武伊勢崎線加須駅から南西へ3.0km、高崎線鴻巣駅から北東へ7.3kmの所にある。

 当神社の神苑(玉敷公園)には樹齢400年枝張700m2の大藤があると云ふ。
 藤と云ふと、足利フラワーパークの大藤(樹齢150年、1000m2)と庭木造りの藤、小田原城の御感の藤、近所の保育所の普通サイズの藤棚、藤沢白幡神社の白藤(義経藤)、とあちこちに記憶に残る藤がある。
 季節ではなかつたし、バスの時間の都合もあり、寄らなかつたが、一度見に行きたい所と思つてゐる。

写真



向拝の彫刻拡大



神楽殿、屋根は茅葺でH30年8月に葺き直された(1)

摂社 宮目神社 大宮能売神(おおみやのめのかみ)、玉敷神社が遷座される前から鎮座してゐた地主神・式内社


脚注
  1.  令和元年5月1日日閲覧 加須市 インターネット博物館 玉敷神社神楽殿の茅葺き屋根の修復


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