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鴻神社 (埼玉県鴻巣市本宮町)

参拝日 平成30年1月24日(水)
作成日 令和元年5月4日(土)
追記日 令和6年4月7日(日)
よみ  こう じんじゃ  
所在地  鴻巣市本宮町1-9 (北緯36度3分46.84秒 東経139度30分38.51秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  Wikipedia:鴻神社
 当社 HP
祭 神  スサノオノミコト
 ハヤタマノオノミコト
 ワケイカヅチノミコト
由 緒  鴻巣市教育委員会による掲示が有り、次のやうに記されてゐる。
鴻神社

 鴻神社は明治六年にこの地ならびに近くにあった三ヶ所の神社を合祀したもので、もとは鴻三社といった。三社とは次の神社である。

  氷川社……鴻巣市字本宮390番地(宮地五丁目)
 鴻ノ宮氷川大明神あるいは端ノ宮(ハジノミヤ・ハタノミヤ)ともいい、鴻巣郷総鎮守として崇敬された古社であった。氷川社の神額は現在も鴻神社に残されている。

  熊野社……鴻巣宿字本宮389番地(宮地一丁目)
 熊野権現と称していた古社で氷川明神を端ノ宮と称したのに対し中ノ宮と呼んだ。合祀前は社地3000坪を有し、巨木におおわれた森林であったという。

  竹ノ森雷電社……鴻巣宿字東側2283番地(現在地)
 雷電社は現在地に鎮座していたもので「竹ノ森」の名があるように付近には竹林が広く存在し、巨木と竹林によって囲まれた古社であり、天明期には遍照寺(常勝寺末)持となり、鴻巣宿の鎮守として崇敬されていた古社であった。

 現在の鴻神社社地は竹ノ森雷電社の社地だったもので、合祀決定後、社殿の造営が行われ、明治六年九月二十四日に社号を鴻三社と定めた。
 明治三十五年から四十年にかけてさらに鴻巣町内に所在した日枝神社、東照宮、大花稲荷社、八幡神社を合祀して明治四十年四月八日、社号を鴻神社と改めて現在に至っている。
 ここには鴻巣市の文化財に指定されている『香具拾三組御定免』(かぐじゅうさんくみごじょうめん)『議定書』『承認講中連名帳並焼印』等貴重な資料が残されている。
 また、ここ鴻神社では十月十四日の例大祭のほか、ゑんぎ市や酉の市、夏まつりなど様々な行事がおこなわれている。
  昭和六十三年三月
鴻巣市教育委員会


 新編武蔵風土記稿巻之百十八の鴻巣宿の条には、三社(氷川社、雷電社、熊野社)が載つてゐる。
雑 記  高崎線鴻巣駅から北へ0.5kmの所にある。

 御朱印は何種類も用意されてゐた。おすすめのものをいただいたが、すべて印刷されたものと見える。
 境内には、境内社が所狭しと鎮座してゐる。
 その内、合祀社は本社の後方左(西)側にあるが、全十四社の内に屋敷神七社を含み、屋敷神は「市内○町○丁目 ○○家 稲荷神社」のやうに表記されてゐる。
 当社の由緒について、当社の掲示もあるが、鴻巣の名称の由来の他、祭神六柱を記してゐる。教育委員会のものが判りよいので、当社のものは転記しなかった。
 
 ところで、明治始めに合祀された三社のお祭や由緒等どのやうに引継がれたのだらう。熊野社の3000坪の土地と巨木は何処へ行つたのだらう。神社が無くなつたため、巨木は伐られ、土地は売られてしまつたのだらうか。
 埼玉県では、明治期の神社合祀により神社数は半減したと云ふが、当社の合祀もその一環だつたのだらう。当社HPの祭神には日枝神社、東照宮、大花稲荷社、八幡神社の祭神は無く(合祀社にも社名は無い)、事実上消滅したとみても誤りではないと思ふ。(あちこちで起きたことと思ふ)

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真3  拝殿


写真2  北西側から撮影


写真4  三狐稲荷神社(天狐、地狐、人狐の三狐をまつる。覆屋内の本殿は銅製)


写真5  合祀社(稲荷神社・蚕影山神社・御嶽神社・三峯神社・厳島神社・秋葉神社・須賀神社、その他さいたま市や市内屋敷神七社が合祀されてゐる)


御朱印


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.04.07 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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