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寳登山神社 (埼玉県 長瀞町 大字長瀞)

参拝日 平成30年1月31日(水)
作成日 令和元年6月2日(日)
追記日 令和6年4月7日(日)
よみ  ほどさん じんじゃ  
所在地  長瀞町大字長瀞1828番地 (北緯36度5分35.62秒 東経139度6分11.19秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  Wikipedia:寳登山神社
 当社 HP
祭 神  神日本磐余彦尊 (かんやまといわれひこのみこと)
 大山祇神 (おおやまづみのかみ)
 火産霊神 (ほむすびのかみ)
由 緒  別表神社、旧県社
 昭和六十三年、さわらび講が奉納の略記には次のやうに記されてゐる。( )内のカナは振仮名。
寶登山神社略記
御社名 寶登山神社(ほどさんじんじゃ)
御例祭 四月三日 神社本庁より献贈使参向
御祭神 神日本磐余彦尊 (かんやまといわれひこのみこと) 皇祖神武天皇
大山祇神 (おおやまづみのかみ) 山をつかさどり山の恵みを授け給う
火産霊神 (ほむすびのかみ)火をつかさどり火の恵みを授け給う
御眷属 (ごけんぞく)霊犬の姿を借りて神威を発動し給う
信仰 五穀豊穣 養蚕倍盛
火災盗難他災難除け
交通安全、学業達成
産業繁栄等

御鎮座のいわれ
 社伝によれば人皇第十二代景行天皇の皇子日本武尊(やまとたけるのみこと)は、東国平定の道すがら当山に登られ、山火事に囲まれた時、巨犬が現れて火を防ぎ止めました。尊は感謝をこめて頂上に三柱(みはしら)の神様を祀(まつ)られました。これが御鎮座の創(はじ)めと伝えられます。
 その後麓の玉泉寺の境内に寶登山大権現として祀(まつ)られ、更に幕末(弘化二年1845)から社殿の造営を始めて明治七年(1874)に完成したのが現在の御社殿です。
 その間明治元年(1868)の神仏分離令により寺と神社は分離しましたが、その後もなお社寺協力して宝登山信仰の伝統と清浄な霊地をお守りしております。 なお一年中の御祭事等は別の所に掲示しました。

補足すると(当社HPによる)、
・社殿造営工事が始ったのは弘化四年
・宝登山の名は、元「火止山」と表記
・奥宮があり、日本武尊が神霊を祀った宝登山山頂のゆかりの地に鎮座している

境内社 藤谷淵神社
藤谷淵神社
御祭神
伊勢大神 あまてらすおおおみかみ とようけのおおかみ
八坂大神 すさのおのみこと
野栗大神 田畑のやくよけの神
諏訪大神 たけみなかたのみこと
琴平大神 おおくにぬしのみこと
熊野大神 いざなみのみこと
榛名大神 はにやまひめのみこと
竈三柱大神 おきつひこのみこと おきつひめのみこと ほむすびのみこと
御祭礼 春祭二月十八日 夏祭七月二十日 秋祭十月十八日

由緒
 寶登山の麓 荒川の清流に沿う大字長瀞(旧称藤谷淵)の人々が、昔から身近にまつっていた、上の八社は、明治政府の方針により次々にこの境内に集められたが、その後、昭和三十七年に至つて、明社(みょうしゃ)の飛地境内処分の浄財をもつて新たに社殿を造営し、同年七月十八日遷座合祀し、大字の旧称をとつて「ふじやぶち神社」と号した。
 ここに後世のためにそのいわれを誌すものである。
 昭和五十二年貳月春祭の日
  宮司 横田 茂 誌す
  総代 小見山磯吉 建碑寄進

境内社 長瀞町招魂社 いわれを刻んだ石碑より
  長瀞町招魂社のいわれ
此の招魂社は明治、大正、昭和の三代に亘り各戦役等に従い国家のために生命を捧げて平和の礎となられた長瀞町出身の英霊三百十一柱をお祀り致たします
大正十三年十二月、旧樋口村有志により小学校校庭に創設せられ町村合併後野上町招魂社となり昭和三十八年三月十九日此の神域にお遷しいたしました なお、同四十七年十一月一日町名が変り長瀞町招魂社と改称されました
皆様共々に御社前に額いて英霊の御冥福を祈り、感謝の誠を捧げ平和の誓いを新たにいたしましょう
  明治天皇御製 世とともに語り伝へよ国のため命をすてし人のいさほを

境内社 日本武尊社 社前の掲示より
日本武尊社のいわれ
 このお宮には第十二代景行天皇の皇子の日本武尊がお祀りされています。東国平定の折、この山の神秘な雰囲気と美しい姿に心ひかれた尊は、艱難辛苦の末山頂に立たれ、この地を神を祀るに相応しいところとされ、寶登山神社の礎とされました。
 尊の御徳を偲ぶ人々は、尊が登山の際、身をお清めになった泉近くに、このお宮を奉齋しました。
 日本武尊社のお祭は八十八夜(五月二日)に行なわれ、尊の登頂の故事に倣い、神輿に奉遷された御神霊は奥宮に赴き祭典が斎行され、神楽が奉奏されます。この祭りは別名「つつじ祭り」と呼ばれ、秩父地方の濃厚始めの目安となっているほか、宝登山の山開きとなる当日の山頂は参拝者やハイカーで大いに賑わいます。
雑 記  この日は、当社の他、秩父神社三峯神社を巡った。
 三峯神社へは公共交通機関を使って行く計画を建てたことがあったが、片道6時間近くかかる。滞在時間は鉄道・バス出発時刻に合せざるを得なく、この点も、実行躊躇の理由になっていた。
 所が、バスツアーで当社の他、秩父神社三峯神社、をめぐるコースがあり、一人での参加も可能とのこと。願っても無い事と思ひ参加した。

 当社の鉄道最寄駅は秩父鉄道長瀞駅で、駅から西ないし西南西へ0.9kmの所に当社はある。

 バスツアーで訪れる人が多く、写真撮影は、人が引いた隙に撮る。彫刻が彩色され見事。彩色は消え社殿も傾いてゐたが、平成19年5月から21年11月まで4億9200万円を要した諸工事が行はれ現在の姿になったといふ。
 境内社には、由緒欄で記した藤谷淵神社、長瀞町招魂社、日本武尊社の他に、寶玉稲荷神社、天満天神社、水神社があり、いずれも由緒掲示があった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1


写真2


写真3


写真5  御本殿


写真4  向拝の彫刻 拡大(390kB)


写真6  境内社 藤谷淵神社


写真7  境内社 長瀞町招魂社


写真8  同左 御社殿


写真9  境内社 日本武尊社


御朱印


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.04.07 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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