境内の掲示板によると、
起志乃天神由緒
菅原道真郷を祭神とする太宰府の天満宮は文教の祖神と
して崇敬のまとであるが、天歴元年後村上天皇が
京都の北野に天満宮を造営され一条天皇の車駕行以
来歴聖の行幸二十数変に及び世人これを北野行幸と呼んだ。
當天満宮は青山家祖先藤原朝臣忠勝が京都より移り
住むに當り永仁六年に北野より勧鎮座したものであり、
今から約六百八十数年前である。
尓来当地方の天神様として広く敬愛され幾星霜を経た、
明治四年名主青山貞勝により石祠殿が建立された
昭和六年青山○作他世話人により石祠殿の修理があった。
その後住人の移り変りと支那事変、大東亜戦争と騒乱の
時代を迎え文教の守護神である當社は次第に荒廃の度を加えた。
昭和二十一年当町内相川、佐久間、辻村、内田等の諸氏が○行と
なり高砂小学校にあった旧奉安殿の建造物を当処に移築し
石祠は新社殿に内蔵した。さらに境内地は浦和市児童
遊園地に指定を受け今日に至ったものである。
昭和五十五年社屋の修築と周辺の整備を行うに当たり地域
在住諸氏の協賛に感謝しここに由緒を誌す。
昭和五十五年二月
起志乃天神奉賛会
会長 相川曹司
他 役員一同
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