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起志乃天神(埼玉県さいたま市浦和区)

作成日 平成21年7月13日
追記日 ────────
よみ  てんじんじゃ(天神社)
所在地  さいたま市浦和区岸町5-8-9(北緯35度51分7秒、東経139度39分10秒)
HP  ─  埼玉県神社庁:天神社
由緒 境内の掲示板によると、
   起志乃天神由緒
菅原道真郷を祭神とする太宰府の天満宮は文教の祖神と
して崇敬のまとであるが、天歴元年後村上天皇が
京都の北野に天満宮を造営され一条天皇の車駕行以
来歴聖の行幸二十数変に及び世人これを北野行幸と呼んだ。
當天満宮は青山家祖先藤原朝臣忠勝が京都より移り
住むに當り永仁六年に北野より勧鎮座したものであり、
今から約六百八十数年前である。
尓来当地方の天神様として広く敬愛され幾星霜を経た、
明治四年名主青山貞勝により石祠殿が建立された
昭和六年青山○作他世話人により石祠殿の修理があった。
その後住人の移り変りと支那事変、大東亜戦争と騒乱の
時代を迎え文教の守護神である當社は次第に荒廃の度を加えた。
昭和二十一年当町内相川、佐久間、辻村、内田等の諸氏が○行と
なり高砂小学校にあった旧奉安殿の建造物を当処に移築し
石祠は新社殿に内蔵した。さらに境内地は浦和市児童
遊園地に指定を受け今日に至ったものである。
昭和五十五年社屋の修築と周辺の整備を行うに当たり地域
在住諸氏の協賛に感謝しここに由緒を誌す。
   昭和五十五年二月
  起志乃天神奉賛会
    会長 相川曹司
     他 役員一同
参拝日 平成21年6月29日(月)
雑記  調神社を参拝した後、目的地へ行く際、地図を見てゐながら間違った方向へ歩いてしまひ、たまたま出会った神社である。
 帰宅してから、埼玉県神社庁のHPで神社名を検索しても出てこない。包括下にないのかと思ってゐたが、 この文書を書いてゐるとき念のためにもう一度調べたら、「起志乃天神」ではなく「天神社」で同じ住所となってゐる。間違はなくて良かった。


平成21年6月29日撮影

平成21年6月29日撮影


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