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三峯神社 (埼玉県 秩父市 三峰)

参拝日 平成30年1月31日(水)
作成日 令和元年6月2日(日)
追記日 令和6年4月7日(日)
よみ  みつみねじんじゃ  
所在地  秩父市三峰298-1 (北緯35度55分31.67秒 東経138度55分49.87秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI  
地 図  参拝当時の地図です。 (最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。)
地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
HP等  Wikipedia:三峯神社
 当社 HP
祭 神  伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 伊弉册尊(いざなみのみこと)
由 緒  伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 別表神社、旧県社
 社頭の掲示には次のやうにある。
三峯神社御由緒
 当社は今から1900年余の昔、日本武尊が東国の平安を祈り、伊弉諾尊・伊弉冉尊、二神をお祀りしたのが始まりです。尊の道案内をした山犬(狼)が、お使いの神です。三峯の名は神社の盗難にそびえる雲取、白岩、妙法の三山が美しく連なることから、三峯宮と称されたことに因ります。
 奈良時代、修験道の開祖役小角が登山修行したと伝え、平安八年国々に疫病が流行した折、聖武天皇は当社に葛城連好久を使わして祈願され、大明神の信号を奉られました。
 平安時代には僧空海が登山、三峯宮の傍らに十一面観音像を奉祀して天下泰平を祈り、以来僧侶の奉祀するところとなりました。
 鎌倉時代、畠山重忠が祈願成就の御礼として十里四方の土地を寄進しました。また戦国時代には月観道満が諸国を勧進して天文二年に社殿を再建し、中興の祖と仰がれています。
 江戸時代、関東郡代伊奈半十郎検地の折、三里四方を境内地として除地され、寛文元年現在の本殿が造営されました。
 享保年間には日光法印が社頭の復興に尽し、御眷属信仰を広めて繁栄の基礎を固めました。寛政四年に随神門(仁王門)、同十二年には拝殿が建立され、幕末まで聖護院天台派修験、関東の総本山として重きをなし、幕府から十万石の格式をもって遇されました。
 明治維新の神仏分離により社僧を罷め仏寺を閉じ神社のみとなりました。明治六年郷社、同十六年県社に列せられ、戦後官制廃止により宗教法人三峯神社として現在に至っています。
雑 記  秩父鉄道三峯口駅から、南西へ6km、道のり24km、標高1080mの所にある。

 昭和36年本殿復元、昭和37年に拝殿改築、平成16年に社殿の修復がなされてゐる。彫刻・彩色は美麗であった。手水舎も美しい。
 境内社はwikipediaを見ると26社ある。国常立神社の社殿は大きく彫刻と彩色はみごとであった。

 バスツアー三社目。
 ツアーのバスの中では、三峯神社では白いお守『氣守』の頒布が毎月一日にあり、それを求める人で道路が大渋滞する、今日は31日なので前日から来てゐるひともゐるとか。前触れをして反対車線を通すなどできれば良いと思ふ。皆がリスクを取りたがらず、渋滞はそのままとなつたんぢゃないだらうか。
 平成30年4月1日には、最大26kmの渋滞となり路線バスは三峯神社線は無論、他路線のバス運行に遅延や欠車が出て、物流にも支障となり、結局、白い氣守は平成30年6月1日からしばらくの間は頒布が中止となった。

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)

写真1  三ツ鳥居(みつとりい)


写真2  奥宮遙拝所


写真3  山門


写真8  手水舎(冬期仕様で祓ひ串設置)


写真4  拝殿


写真5  拝殿


写真6  拝殿


写真7  拝殿と本殿(拡大408kB)


御朱印  通常の御朱印(手書)


御朱印


出典・脚注
  1.  ─

改訂記録
  • 令和06.04.07 ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。 写真に番号を附した。

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