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洲崎神社(千葉県館山市州崎)

参拝日 令和3年10月30日(土)
作成日 令和4年8月20日(火)
追記日 令和6年2月13日(水)
よみ  すのさき じんじゃ
概要  当社(洲崎神社)は千葉県館山市洲崎に鎮座する。創建は神武天皇の御宇と伝へられ、論社(式内大社)で旧社格は県社。源頼朝・太田道灌・安房里見氏の崇敬篤く、老中松平定信は「安房国一宮洲崎大明神」の扁額を奉納している。  
所在地  館山市州崎1344  
  (34度58分4.88秒 139度45分29.74秒)
 地図:地理院地図(ズームレベル15)
    マピオン(ズームレベル13)  
地図  参拝当時の地図です。最新の地図は所在地欄のリンク先をご覧下さい。
地理院地図、東西 59km×南北 55km の範囲の地図です
・東西59km 南北55km
印:当社位置


地理院地図、東西 1.13km×南北 0.94km の範囲の地図です
・東西 1.13 km × 南北 0.94 km、
印:本殿の位置
    
HP等  Wikipedia:洲崎神社
祭神  天比理乃当ス (あまのひりのめのみこと)
由緒  論社(式内大社)  元 県社 
 境内の由緒碑には次の様に刻まれてゐる。
式内大社 洲崎神社
祭神 天比理乃当ス (あめのひりのめのみこと)
  当社は延喜式神名帳に「后神天比理乃当ス神社 大元名洲神」と記され、天太玉命(あめのふとたまのみこと)の后神(きさきかみ)を祀る式内大社で、元の名を洲神(すのさきかみ)と称した。
由緒
  当社は宝暦三年(一七五三)の「洲崎大明神由緒旧記」によると、神武天皇の御宇、天冨命(あめのとみのみこと)が御祖母神天比理乃当スの奉持された御神鏡を神霊として、洲辺(すさきべ)の美多良洲(みたらし)山に祀られたことに始まる。
鎌倉時代の治承四年(一一八〇)安房に逃れた源頼朝が、戦勝と源氏再興を祈念して神田を寄進、後、妻政子の安産を祈願している。
室町時代には江戸城を築いた太田道灌が、江戸の鎮守として明神の分霊を勧請したと伝えている。房総里見氏も当社を尊崇して、七代義弘が神領五石を寄進し、江戸幕府もこれに倣って朱印状を下した。
幕末の文化九年(一八一二)房総沿岸警備を巡視した老中松平定信は「安房国一宮洲崎大明神」の扁額を奉納している。
神位は平安時代に正一位、鎌倉時代に元寇戦勝祈願の功により勲二等に叙せられ、明治六年(一八七三)県社に列せられた。往時、別当寺は養老寺など五ヶ寺を数えた。洲崎明神は古来伝承されている数々のあらたかな霊験から、安産・航海安全・豊漁・五穀豊穣や厄除開運の守護神として信仰が厚く、現在に及んでいる。
祭事
祭礼は二月の初午と八月二十日・二十一日の例大祭があり、共に文化庁選択記録保存・県指定無形民俗文化財の洲崎踊り(鹿島踊りと弥勒踊り)が奉納される。八月の例大祭には勇壮な神輿の渡御や浜祈祷も行われる。
文化財その他
社宝である養老元年(七一七)万治二年(一六五九)宝暦三年の各縁起や御神休髪などのほか、江戸時代延宝年間の改築とされる神社本殿は、共に市指定有形文化財であり、神社の鎮座する御手洗山(みたらしやま)は洲崎神社自然林として県指定天然記念物となっている。また随神門は宝永年間の造営、矢大神・左大神像は明治三年の作とされている。
  平成元年八月
      館山市文化財審議会委員   君塚文雄誌
(令和6年2月13日追記)
 文治三年(1187)、品川に当社の御分霊を祀つて品川大明神(現 品川神社)としてゐる。
雑記   最寄駅は内房線館山駅で、当社から東北東(72°)へ9.9kmの所にある。安房神社は南東(125°)へ8.8kmの所にある。

 電動の力を頼りに、安房神社から洲宮神社を経由してやってきた。電動とはいっても、電動(アシスト)自転車なので相応の体力は使った。

 書きとどめたいことは沢山あるが、教育委員会等による説明板や、由緒等はWikipediaを始めとしたwebサイトにあるので少しだけに留めておかう。
  • 境内社  社殿に向って右手に長宮(豊玉彦命・大山津見命・建速須佐之男命・大物主命)、その奥に金刀比羅神社。社殿に向って左手に稲荷神社(安永元年(1772)に勧請)
  • 富士見鳥居(霊峰富士遙拝所)
  • 敬神風化の碑  関東大震災・昭和11年の津波からの震災復興記念碑で、神社と二つの漁港の復旧に尽力したと記録されてゐる。風化とは徳によって教化する意。昭和12年建立。碑文の文字はくっきりとしており、風化してはゐない。関東大震災では洲崎で8mの津波、館山市内の死者727名と被害は大きかった。
  • 手水舎  見事な彫刻が施されてゐる

写 真  (拡大写真は新しいタブ又はウインドウで開きます)
写真1 写真1 拡大 (1280×960)
 社頭
 右手の社号標は「一宮洲崎大明神」(文政三年奉納)、左手の社号標は「安房之国一宮 洲崎神社」(平成十六年奉納)
 参道左右側には、複数の説明板がある。右手には、館山市教育委員会による民俗文化財に指定及び選定されてゐる洲崎踊りの説明板。もう一つは、千葉県天然記念物の「洲崎神社自然林」市有形文化財の「洲崎神社本殿」。左手には、「洲崎神社・養老寺 案内図」。

写真2 写真2 拡大 (1280×960)
 鳥居の先にある建物は随神門

写真3 写真3 拡大 (1280×960)
 拝殿
 随神門をくぐり、長い階段を登ると正面に現れる

写真4 写真4 拡大 (1280×960)
 拝殿 斜め前から撮影

写真5 写真5 拡大 (1280×960)
 御本殿
 延宝年間(1673〜1681)の造営といふ

写真6 写真6 拡大 (1280×960)
 拝殿内

写真7 写真7 拡大 (960×1280)
 社殿前からの眺め

写真8 写真8 拡大 (1280×960)
 御神石
 「洲崎神社・養老寺 案内図」によると「浜に祀られている長さ2.5mの丸みを帯びた細長い石。龍宮から洲崎大明神に奉納された二つの石のひとつとされ、もうひとつは三浦半島の浦賀に西にある安房口神社にあり、先端に円い窪みがあることから「阿形(あぎょう)」に洲崎の石が口を閉じたような裂目がある事から「吽形(うんぎょう)」とたとえられ、狛犬のように東京湾の入り口を守るように祀られている」といふ。御神石の脇に碑があり、役行者が海上安全のために置いていったと言う伝説もある、としてゐる。
 御神石の後方にある鳥居は一の鳥居(浜鳥居)、山は御手洗山(みたらしやま)で林は自然林で県の天然記念物に指定されてゐる。

写真9 写真9 拡大 (1280×960)
 写真8と180°向きをかへた撮影。海岸は直ぐそこ

御朱印
御朱印 拡大 (650×960)



出典・脚注
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改訂記録
  • 令和06.02.13 (1)ページ内の配置変更(スマホでの閲覧に配慮)。(2)概要欄を設けた。(3)由緒欄に品川神社御分霊を記載。

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