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千葉県護国神社(千葉市若葉区桜木/中央区弁天)

作成日 平成29年10月28日
追記日 令和5年1月9日
よみ  ちばけんごこく じんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年4月7日(金)
所在地  千葉市若葉区桜木4丁目1番1号(35度37分17.84秒 140度9分25.46秒辺り)
 地図:地理院地図には未反映(追記日時点)
 
 参拝時(旧地) 千葉市中央区弁天三丁目16番1号 (北緯35度37分13.14秒 東経140度6分41.95秒)
  地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  千葉県神社庁 神社詳細 千葉縣護國神社
 Wikipedia:千葉縣護國神社
 当社HP
祭神  国難に殉ぜられた人々 五万七千余柱
由緒  境内の掲示には次のやうにあった(参拝時)。
千葉縣護國神社

御祭神
当千葉縣護國神社は、明治維新以来幾多の事変戦役を経て先の大東亜戦争に至る間に戦歿せられた人々のみたまをおまつり申し上げている神社であります。
御祭神は、維新の役にたおれた下総國桜畔安達直次郎盛篤命をはじめ年若きみたまに至るまで、県民各層に及びその数は、五万七千余柱の多きを算えます。

御由緒
明治天皇の思召しにより、明治十一年一月二十七日、初代県令芝原和が発起人となり一身を捧げて国難に殉ぜられた人々の勲を永く顕彰し、そのみたまをお慰め申し上げるために千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建せられたのにはじまり、爾来社地変更・御社号改称等の変遷を経て、昭和四十二年九月三十日亥鼻山から現境内地に御遷座申し上げ、更に平成七年七月六日には御創立壹百拾五年を記念し御社殿の大修復工事の大事業を完遂しました。
昭和四十八年十月天皇皇后両陛下には、国民体育大会開会式御臨席を機に御親拝遊ばされ、同月全国身体障害者スポーツ大会に御臨場を機に皇太子(今上天皇)同妃両殿下が御参拝遊ばされるなど創建以来皇室の御崇敬はもとより、県民遺族の変らぬ崇敬のもとに御神徳は愈々輝き、御社頭は日ごとに隆昌に赴いて居ります。
雑記  令和4年2月25日に新境内地・新社殿に遷座した。老朽化やバリアフリー化の必要性のためと云ふ。最寄駅は千葉モノレール2号線桜木駅から南南西へ1.1kmで、桜木霊園北の隣接地。千葉駅からは東北東(76度)へ4.0km。

 以下は参拝時の事。

 参拝時の鎮座地は、総武線千葉駅から北ないし北北西へ0.7kmのところにある。
 旧地の亥鼻山(いのはなやま)は、現在地から南南東へ2kmほどの所で、大地元年(1126)千葉常重が築城した。なお、江戸期には城は無く、千葉城は昭和に建てられたもの。
 社殿の北東境外に忠霊塔がある。柵が巡らされゐる。碑文があれば読みたいが近づけなかった

 境内には、「慰霊碑」(支那駐屯歩兵第三聯隊)、「愛馬慰霊」碑、「千葉県出身 陸軍少年飛行兵 慰霊之碑」、「日中戦士鎮魂碑」、「シベリア強制抑留死没者千葉県慰霊碑」があった。写真は愛国顕彰ホームページ千葉県護國神社にあるので掲載はよした。

写真




■表5
・R05.01.** 令和4年2月の遷座に伴ひ追記


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