よみ
| あたご じんじゃ
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所在地
| 東京都港区愛宕1-5-3(北緯35度39分54秒、東経139度44分54秒)
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HP
| 愛宕神社
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祭神
| 火産霊命(ほむすびのみこと)
罔象女命(みづはめのめのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
日本武尊
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由緒
| 慶長8年(1603年)、徳川家康の命により江戸の防火の神様として祀られたといふ。
境内の掲示によると(英文も併記されてゐる)、
愛宕神社御由緒
主祭神 火産霊命(火の神) 罔象女命(水の神)
大山祇命(山の神)
日本武尊(武徳の神)
勝軍地蔵菩薩(勝運・出世)普賢大菩薩(辰・巳年の守り本尊)天神社(学業)
境内末社
太郎坊社(猿田彦神)福寿稲荷神社(宇迦御魂神)弁財天社(市杵島姫命)
大黒天神祠(大國主命)恵比寿神社(事代主命)
祭日(略)
当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。
幕府の尊崇篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、祭礼等でもその都度下附金の拝領を得ておりました。
また、徳川家康公のご持仏「勝軍地蔵菩薩」(行基作)も特別に祀られております。(非公開)
江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の旅に焼失しましたが現存のご社殿は昭和三十三年再建されました。寛永十一年
三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆上がり、お社に
国家安寧の祈願をし、その境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上したことから日本一の馬術の名人として
名を馳せ「出世の石段」の名も全国に広まりました。万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門へ出向き
大老井伊直弼を討ちその目的を果した世に言う「桜田門外の変」の集合場所でもありました。
(ご社殿内に額縁寄贈)
海抜二十六メートルは都内随一の高さを誇り、桜と見晴しの名所として江戸庶民に愛され数多くの浮世絵にもその姿を
残しています。明治元年には勝海舟が西郷隆盛を誘い山上で江戸市中を見回しながら会談し、江戸城無血開城へと導きました。
鉄道唱歌にもその名は残り春は桜、夏の蝉しぐれ、秋の紅葉、そして冬景色と四季折々の顔を持つ風光明媚な愛宕山として
大変貴重な存在となっています。
ほおづき市、羽子板市は浅草の市の先駆け、発祥の地として江戸時代の書「東都歳時記」にもその賑わいは記され
現在は六月の千日詣り、羽子板絵馬にその名残をとどめています。
伊勢へ七度 熊野へ三度 芝の愛宕へ月まいり
年間行事 (略)
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参拝日
| 平成22年5月22日(土)
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雑記
| 金刀比羅宮をでて南へおよそ500メートル歩いてきた。
神社といふより、愛宕山の名を覚ゑてゐて、一つはNHK、もう一つは馬で階段を上ったといふ講談。
標高は26メートルで東京23区内では最高峰と言ふから、放送局(ラジオ)設置はそれ故だらうか。愛宕山から始ったとは、NHK
ラジオではよく耳にした。
講談は、これもNHKラジオでよく聞いた。寛永三馬術、曲垣平九郎と聞くと、そうそう、と頷く。最近は、ラジオを聞く機会が少なく、
講談はもう何年も聞いてゐない。馬で駆上がったといふ階段だが、歩いて登ってもなかなか急で長い。体力のなさが思ひ知らされる。
上まで上がると、梅の老木があり「平九郎手折りの梅樹」とある。樹勢は衰へてゐるが今に残ってゐるのは感動ものだ。
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