よみ
|
|
所在地
| 西糀谷3-29-2 (北緯35度33分11.7秒 東経139度44分9.4秒)
国土地理院ウオッちず
いつもNAVI
|
HP
| ─
|
祭神
| 宇迦之御魂命
|
由緒
| 境内の掲示版には次のやうにある。
三徳稲荷神社の縁起と由緒
祭 神 宇迦之御魂命(別名 倉稲魂命・稲荷神) 出雲國(地祇族) 穀霊神・農耕神・商工神
父名 素盞鳴尊 母名 神大市比売命 兄名 大年神
旧社格 本社殿 正一位伏見稲荷神社
建 立 宝暦六年(1756年)
社 殿 瓦葺 流れ造り(昭和四十年竣工)強と伏見稲荷神社(稲荷山・三徳社末社)
ご利益 商売繁盛・家内安全・火災・災難除け・子孫繁栄・学芸成就・芸能上達
合 社
天満宮(祭神) 菅原道真(学問の神)
糀谷観音堂(ご本尊)聖観世音菩薩(別名・みそ観音)
観音堂地蔵尊 踏切死亡事故から命を落された人達の魂をとむらうため、安置致しました。
三徳稲荷神社の縁起
三徳稲荷神社の名前が初めて現れたのが宝暦六年(1756年)浜竹村に建立されると記されております。
(糀谷史の記述)実際、三徳稲荷神社にも伏見稲荷大社よりの書き付けがあり。その文面の年号記載には
宝暦八年(1758年)二月七日武州六郷村浜田(浜竹)新井(荒井)五郎佐衛門宛に従五位上 摂津守荷田宿禰春郷と記載。
そのことにより神社は宝暦六年(1756年)に建立されたことを物語っております。
その後、明治から大正と至り、先の関東大震災(大正十二年)で神社は消滅。大正十三年に三徳稲荷神社を再建。
その後、先の大戦で再び、神社も神輿もすべて焼失しました。
戦後はアメリカ軍の占領により、神社は跡形もなく、また神社の土地はアメリカ軍に接収され、返還後に小さな
神社を再建しましたが物資のない時代だったため痛みが激しくなり、昭和四十年に現在の神社が氏子達の協力により
建立され現在に至っております。
三徳稲荷神社の「名前」の由来
三徳とは「三つの徳を授ける」という意味であり、その実は(七福神)の福禄壽が起源とされております。
(中略)
「福」幸運 になりますように
「禄」封禄 が授るように
「壽」長生 き出来ますように
と言う願いを叶えてくれると言う「三つの徳」であります。
行事
初 午 祭 二月に入って初めての午の日(稲荷山に鎮座した日)
お 祭 り 九月第一土曜・日曜日 浜竹神社と一緒に行う。
伏見参拝 十一月十八日 伏見 三徳社の火焚祭に参加。
お炊上げ 十二月三十一日
平成二十三年八月吉日
京都伏見稲荷
三徳稲荷神社
|
|
参拝日
| 平成23年9月19日(月)
|
雑記
| 京浜急行大鳥居駅から西へ300メートルほどの線路北側にある。
境内には元、鳥居であったと思はれる石材(柱・貫・台石)が置かれてゐた。柱部分には「昭和三十二年六月修復」と刻まれてゐるのが判る。
今ある鳥居は平成十五年と二十年に建立されてゐる。狛犬(きつね)は昭和四十六年に奉納されてゐる。
観音堂は社殿の向ひ側(線路側)の二階にある。一階は駐車場と地蔵尊。
|