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菅原神社(東京都世田谷区松原)

作成日 平成30年6月23日
よみ  すがわらじんじゃ 地理院地図、東西 1.13km×南北 0.84km の範囲の地図です
(東西 1.13 km×南北 0.84 km)
参拝日  平成29年10月12日(木)
所在地  世田谷区松原3-20-16 (北緯35度39分54.55秒 東経139度38分46.35秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  東京都神社庁 神社詳細 菅原神社
祭神  菅原道真公
由緒  旧村社
 掲示板に張出された手書の「御祭神 菅原道真公について」に次のやうにある。
御祭神 菅原道真公について

(中略:五百字余)

 当神社は寛文五年(1665年)石井兵助道慶の願望によりこの地に道真公を祀りました 伝説によると寺子屋があり子弟教育に学問の神を奉斎したと言われております。今は松原全域と赤堤四丁目二丁目・羽根木・大原の一部の守護神として鎮り学問の神として遠方の方々からも信仰を集めております。江戸時代は天満宮と称しておりました。五月の年一度の大祭を始め除夜の時には大根の煮たのを参詣者に差上げ新しい年の無病息災を祈念しております 御参拝ください。   菅原神社 社務所
 石碑には次のやうに刻まれてゐる。
   神社復興の記
當神社の御祭神は菅原道真公にして寛文五年(2325年)石井兵助大人の願望により奉齋せられてより松原の里全域と赤堤一部の氏神として尊崇と信仰を集め天満宮と称せしも後菅原神社と改称せられ今日に至る
昭和三十八年一月故 安藤初五郎氏の提唱により 辨天池の社地を地元出身區議会議員諸氏の斡旋を得て兒童遊園地として世田谷區に提供その資によって神社の復興計画を立案し氏子總代宮世話人一同の和衷協力のもとに先づ社務所の建設嚴島神社の移轉構築工事を起し 翌三十九年六月完成 引續き社殿新築工事に着手一年有余にして落成四十年十月十六日遷宮祭を齋行神霊は新社殿に鎮まりましぬ 次いで神楽殿新築工事を起し四十一年九月落成併せて境内の整備を完了 御鎮座三百年祭にあたり復興計画の完成を看た次第であるこの三ヶ年に渉る計画的大事業を完遂し得たるは偏に神徳の御加護と御恩澤によると共に神社役員一同の盡瘁氏子有志の浄財の寄進によるものにして茲に悠久に傳承すべき記念碑を建立しその所以を誌するものである
 昭和四十一年九月(2626年)
       氏子中
宮司茅野志郎謹誌

(転記者注 寛文五年=皇紀2325年=西暦1665年、 一部の漢字はに正字を用いてあるのでそのまま転記した)

 『新編武蔵風土記稿』(1)には次のやうにある。( )内は割注部分  
   天神社 (村ノ北ヘヨリテアリ勧請ノ年月ハツマビラカナラズ)

 厳島神社については、次の碑文があった。
   厳島神社(いつくしまじんじゃ)
御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)(通称七福神の一柱弁財天)といい天照大御神の御子にあたり元禄十五年の記録にここより北西五十米のところ(現在弁天児童公園)の池の中島に鎮座し里人の信仰を集めていましたが昭和三十九年ここに社殿を移し今日に至っております。授福・習いごと・女性の神様・家内繁栄の神様として広く信仰されています。
 五月第二日曜日・弁天まつり
福銭・智恵餅の散供・各町よりお店がでます。
ご参拝ください。
雑記  京王線下高井戸駅から東南東へ0.4kmのところにある。
 絵馬殿を見学したのは、16時になってゐて、少々暗く、細かな部分までは読取れなかった。いくつもの社名額、梅花が描かれた絵馬等、見てゐると飽きない。

写真


向拝には「菅原神社」、拝殿内には「天満宮」と記された扁額がかかってゐる。

御本殿と境内社(向って右は稲荷神社[慶安四年二月勧請(1651年)]、左は御嶽神社[創建時期は不詳、御祭神は櫛真智命(くしまちのみこと)・大己貴命・少彦名命で武州御嶽山上に鎮まる祭神を祀る、安政五年に再建された記録あり](2)

絵馬殿

厳島神社


脚注
  1.  新編武蔵風土記稿 巻之五十二 松原村の条 内務省地理局による活字翻刻本から引用 (江戸幕府の昌平 坂学問所地誌調所が編纂した地誌で文政13年(1830)に20年を経て完成)
  2.  境内社前の掲示を要約した


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