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鮫洲八幡神社(東京都品川区東大井)

作成日 平成27年6月1日
よみ  さめず はちまんじんじゃ
参拝日  平成26年1月11日(土)
所在地  品川区東大井1-20-10 (北緯35度36分16.8秒  東経139度44分33秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP  東京都神社庁 神社紹介 八幡神社
祭神  誉田別尊(ほんだわけのみこと)
 気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
 伊装諾尊(いざなぎのみこと)
 伊装冉尊(いざなみのみこと)
由緒   「品川宿場散歩」と題された品川区による案内があり、次のやうにしるされてゐる。
 旧御林町(のち大井鮫洲町、現在は東大井一丁目、同二丁目の一部、同四丁目)の総鎮守です。
 創立の年代はさだかではないが、寛文の頃(1661〜1672)には、すでにあったとされています。境内には漁師町の鎮守らしく 漁業関係者が寄進した灯籠や狛犬があります。
 祭神には、誉田別尊、気長足姫尊 並びに 昭和四年八月十四日に合祀した白山神社の伊装諾尊、伊装冉尊が祀られています。
 また、境内には稲荷神社(通称 出世稲荷神社 御祭神 宇迦之御魂命)、嚴島神社(通称 弁財天社 御祭神 市杵島姫命 鮫祠)、漁呉玉(なごたま)神社(通称 水神社 御祭神 綿津見神)の末社も鎮座しています。
御林浦(おはやしうら)(漁師町)
 江戸時代、東京湾を臨む品川には、品川浦と御林浦の二つの漁村があり、江戸城御用の鮮魚を納める御菜肴八ヶ浦(おさいさかなはちかうら) の一つとして発展しました。この御林浦は、南品川と北浜川の間(東大井一丁目、二丁目の一部)の漁村をいいました。 ここでの漁獲物の多くは、芝金杉(しばまなすぎ)や本芝(ほんしば)(港区)の魚問屋で売りさばかれていました。また、海苔の 養殖採取も盛んでした。海岸の埋め立てが進み昭和37年(1962)の漁業補償協定の成立で江戸前漁業のおわりをむかえました。
鮫洲(さめず)の地名のおこり
鮫洲はサミズともいわれ、地名の起こりは
(1)「サミズ」は砂水と書き、海岸が干潟になったとき、砂の中から清水が出てくることから、この名になったという。
(2)海晏寺(かいあんじ)伝に「建長3年品川の海上に大鮫が死んで浮きでたのを漁師が腹を裂いたところ、腹の中から木像の 観音像が出現し、人々に不思議な恩をさずけた」ということから門前を鮫州とよんだという。
(3)この浜辺に鮫があがったことがあるので鮫州となったという。
などの説があります。
雑記  京浜急行線鮫洲駅からすぐのところにある。
 駅前には代書屋の看板が幾つもあったが、たぶん廃業してゐるのだらう。自分の場合は神奈川県なので二俣川の運転試験場で免許を更新してゐる。 二俣川駅前から運転試験場まで沢山の代書屋があって、何回もお世話になった。 いまでは、試験場で全てがすむので代書の必要がなくなって廃業したり業態の変はってゐるのは、同じだ。

 昼を過ぎたといふのに広い池は凍ってゐる。池の中央には石祠があり、その向かうに水神社と嚴島神社が並んで鎮座してゐる。

 鮫洲埋立 記念碑、平林九兵衛翁遺徳碑、浅間神社があった。


平成26年1月11日撮影

平成26年1月11日撮影 社殿は昭和本十七年新築

平成26年1月11日撮影 御水屋は旧社殿の彫刻・廃材を利用してゐるといふ


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