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筑土八幡神社(東京都新宿区筑土八幡町)

作成日 平成29年9月23日
よみ  つくどはちまん じんじゃ 地理院地図
参拝日  平成29年3月4日(土)
所在地  新宿区筑土八幡町2-1 (北緯35度42分15.04秒 東経139度44分25.37秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  東京都神社庁 神社詳細 八幡神社  Wikipedia:筑土八幡神社
祭神  応神天皇
 神功皇后
 仲哀天皇
由緒  参道の石段途中に掲示があり、次のよう。
筑土八幡神社由来
 昔、嵯峨天皇の御代(今から千二百年前)に武蔵国豊嶋郡牛込の里に大変熱心に八幡神社を信仰する翁がいた。ある時、翁の夢の中に神霊が現れて、「われ、汝が信心に感じ跡をたれん。」と言われたので翁は不思議に思って、目をさますとすぐに身を清めて拝もうと井戸のそばへ行ったところ、かたわらの一本の松の樹の上に細長い旗のような美しい雲がたなびいて、雲の中から白鳩が現れて松の梢にとまった。翁はこのことを里人に語り神霊の現われたもうたことを知り、すぐに注連縄をゆいまわして、その松を祀った
 その後、伝教大師がこの地を訪れた時、この由を聞いて、神像を彫刻して祠に祀った。その時に筑紫の宇佐の宮土をもとめて礎としたので、筑土八幡神社と名づけた。
 さらにその後、文明年間(今から約五百年前)に江戸の開拓にあたった上杉朝興が社壇を修飾して、この地の産土神とし、また江戸鎮護の神と仰いだ。
 現在、境内地は約二千二百平方米あり、昭和二十年の戦災で焼失した社殿も、昭和三十八年氏子の人々が浄財を集めて、熊谷組によって再建され、筑土八幡町・津久戸町・東五軒町・新小川町・下宮比町・揚場町・神楽河岸・神楽坂四丁目・白銀町・袋町・岩戸町の産土神として人々の尊崇を集めている。
御祭神
 応神天皇
 神功皇后
 仲哀天皇
大祭
 九月十五日

宮比神社由来
 御祭神は宮比神(みやびのかみ)で大宮売命(おおみやのめのみこと)・天鈿女命(あめのうずめのみこと)ともいわれる。古くから下宮比町一番地の旗本屋敷にあったもので、明治四十年に現在地に遷座した。現在の社殿は戦災で焼失したものを飯田橋自治会が昭和三十七年に再建したものである。

(図 名所図会より 略)
平成九年九月吉日建之
雑記  筑土八幡町の交差点から北西方向へ参道の石段を登る。赤城神社と同じ台地上にあり、当社は台地の東端の突出た部分に鎮座してゐる。建物が沢山建ってゐるので10mくらいの高さであれば気づかずにすぎてしまうふが、階段があるとさすがに気づく。
 地理院地図で陰影起伏図を表示させると地形がわかりやすい。最近、この機能を知って、良く使ってゐる。アナグリフといふ立体視できる画像も表示出来るが、赤青の眼鏡を使用する。用意して、これも使ってみたい。

写真

石段上の鳥居は、「享保十一丙午歳十一月十五日 従四位下行豊前守丹治真人○邦」とある(○は直らしい)。区内最古といふ。



境内社(宮比神社)


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