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和泉熊野神社(東京都杉並区和泉)

作成日 平成30年6月17日
よみ  くまのじんじゃ 地理院地図、東西 1.13km×南北 0.84km の範囲の地図です
(東西 1.13 km×南北 0.84 km)
参拝日  平成29年10月12日(木)
所在地  杉並区和泉3-21-29 (北緯35度40分35.10秒 東経139度38分51.70秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等  東京都神社庁 神社詳細 熊野神社  Wikipedia:和泉熊野神社
祭神  天御中主命
 伊弉諾命
 伊弉冉命
由緒  旧村社
 境内に杉並区教育委員会による掲示があり、次のやうに記されてゐる。
和泉熊野神社

 当社は旧和泉村の鎮守で、現在の「和泉の鎮守さま」として、人々に親しまれています。祭神は天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)・伊弉諾命(いざなぎのみこと)・伊弉冉命(いざなみのみこと)で、明治七年には村社となっています。
 社伝によれば、文永四年(1267)に紀州(現在の和歌山県)の熊野神社の分霊を祀ったのが当社の創建で、弘安七年(1284)に社殿を修造し、その後北条氏綱が上杉朝興と戦い江戸城を攻略した際にも、大いに社殿を修めたと伝えられています。
 江戸時代には寛永十六年(1639)と元禄九年(1696)の両度にわたって社殿の改修をおこなったことが、棟札によってわかります。現在の社殿は文久三年(1863)の造営で、明治四年に修覆したものです。『新篇武蔵風土記稿』は、江戸時代の当社について「除地三百坪、村の北の方にあり、上屋二間四方、本社も五尺四方、拝殿二間半に二間、社前に木の鳥居を立」と述べています。
 当社の境内からは、かつて縄文時代の土器・石斧・石棒、古墳時代の土師式土器なども出土しており、古い時代から人々が、この地で生活していたことかわかります。また、境内には徳川家光が鷹狩の途中に休息し、その時に手植えしたと伝えられる松の大木もそびえています。
 例祭日は九月第二日曜日です。
  昭和五十八年三月  杉並区教育委員会

  注 江戸城が北条氏綱に渡ったのは、大永4年(1524)、元寇から間もない弘安七年からは240年も経ってゐる。
    朝興は天文6年(1537)河越城で病死、享年50。


 風土記稿には上記引用に続けて「例祭ハ年々九月廿九日村内龍光寺持」(1)とある。
雑記  京王井の頭線永福町駅から東へ0.4kmの所にある。
 大きな木々が多く、いかにも鎮守の森といふ雰囲気。社家の方が境内を掃除されてゐた。そろそろ落葉が多くなってくるので、大変な思ひをされるのかもしれない。

 境内社は、眷属が狐なので多分稲荷社、他に複数柱(と思われる)の合社(上記リンク先Wikpediaによれば、北野神社(菅原道真公)、御嶽神社(日本武尊)、山神社(大山祇神))があった。
 この後、訪れた貴船神社は、境外摂社であった。

 本日は、別表神社である大宮八幡宮の参拝を主目的に、その近隣のお宮(五社)をも巡った。当社は最初にお参りしたお社。

写真




拝殿の彫刻 拡大(222kB)


脚注
  1.  内務省地理局の活字翻刻本(明治17年刊)の巻之百二十五 和泉村の条 より 同書は文政13年(1830)成立


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