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貴船神社(東京都杉並区和泉)

作成日 平成30年6月23日
よみ   地理院地図、東西 1.13km×南北 0.84km の範囲の地図です
(東西 1.13 km×南北 0.84 km)
参拝日  平成29年10月12日(木)
所在地  杉並区和泉3-22-22 (北緯35度40分40.25秒 東経139度38分54.31秒)
 地図:地理院地図  いつもNAVI
HP等
祭神   高龗神(たかおかみのかみ)
由緒  境内に、教育委員会名の案内板があり、次のやうに記されてゐる。
貴船神社

 当社は和泉熊野神社の境外摂社です。『新編武蔵風土記稿』は江戸時代の当社の姿を「除地1段、村の北の方にあり、小祠を東向に立」と記しています。
 創建は社伝では文永年間(1264〜75)ともいわれますが、詳細は明らかではありません。
 祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)です、この神は山・谷あるいは川にすむ雨水をつかさどる竜神で、雨乞・止雨に霊力があるといわれています。当社はこの水を支配し豊饒を約束する神として信仰されていた、山城国(現京都府)の貴船神社の祭神を勧請したものと伝えられています。
 境内の池は"御手洗の小池"と呼ばれ、かつてはいかなる干天にも涸渇することがなく、村民の雨乞いを行う場所であり、その豊富な湧水から"和泉"の地名は、この池に由来するともいわれています。また水質も大変良かったようで『豊多摩郡神社誌』は「里人は往昔此井より清酒を湧出せしなど云伝ふ」との伝説を伝えています。この伝説は今日も語りつがれています。しかし、この湧水も神田川の改修工事や周辺の宅地化にともない、昭和四十年以降は水が涸れてしまいました。
 当社は大正時代においても、「木造茅葺、間口四尺、奥行三尺」という小祠にすぎませんでしたが、古くから和泉地域の人々の厚い信仰に支えられて今日に至っています。
 なお、現在の神明造りの本殿は昭和三十六年の造営で、落成を記念した石碑も建てられています。
 例祭は五月五日です。
  平成元年三月
杉並区教育委員会
雑記  京王井の頭線永福町駅から東北東へ0.5km、和泉熊野神社から北北東へ0.2km弱のところにある。
 神田川が造った段丘の下にある。和泉熊野神社の境外摂社。嘗ては両社とも龍光寺持。
 事前に境外摂社と知ってゐたら寄らなかったかもしれない。だが、案内板を読んで気持が変った。境内にある池が地名「和泉」の由来とあっては、来て良かったと思ふ。しかし、偶然だなぁと思ふ。

 段丘崖は古くは「はけ」と呼ばれ、「まま」「のげ」「はば」「そわ」「そば」「ほき」も崖・絶壁をあらはす言葉といふ。さういへば、神奈川県座間市の諏訪神社の名称について「ソワの名神(崖(=ソワ)にある式内社である名神」とも考へられるといふ推論を思ひだした。

写真

石鳥居には「慶應四戌辰年九月吉日」の年記がある。また鳥居の扁額は「貴船社」とあり、昭和三十一年と刻まれてゐる

灯籠一対と賽銭箱は昭和三十六年の社殿再建記念に奉納された


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