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作成日 平成30年6月23日 |
よみ | しもたかいど はちまんじんじゃ |
(東西 1.13 km×南北 0.84 km) | ||
参拝日 | 平成29年10月12日(木) | |||
杉並区下高井戸4-39-10 (北緯35度40分31.09秒 東経139度37分49.50秒)
地図:地理院地図 いつもNAVI | ||||
HP等 | 東京都神社庁 神社詳細 八幡神社 Wikipedia:下高井戸浜田山八幡神社 当社HP | |||
祭神 | 応神天皇 | |||
由緒 | 旧村社
社頭に教育委員会による案内文が掲示されてゐる。次のやう。
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雑記 | 京王井の頭線の西永福駅から南西ないし西南西へ0.6kmのところにある。神田川の右岸で微高地となってゐる。
「中世」とはなんぞや? 日本での始りは西暦900年乃至1100年ころ、終りは西暦1600年前後らしい。多神教のローマ時代から一神教のキリスト教が支配した時代と捕へてゐる私には、日本の中世と云はれても理解の出来ない言葉だ。日本には中世(本来の意味での中世、即ちヨーロッパの中世)が無かったからルネサンスも無かった(必要なかった)んだらう。仏教伝来から神仏は共存してきた。本来のヨーロッパの中世に某かの類似点を見てゐるんだらう。が、根本が違ふのだから同じ言葉を使用せず、その概念を現すもっと適切な言葉を使って欲しい。 案内の文章にもどると、二段落目で太田道灌が勧請したとしてゐながら、「中世以降、村落の発達とともにこの地に神社が奉斎され」云々とあるのは当社の前身として、より古くから神社があったと云ふ趣旨なのだらうか? 南へ歩くと玉川上水があると地図で知って、歩いてみたが、少し小高くなった細長い公園があるばかりで流れは見られなかった。後で調べたところ、当社の西北西2.4km当りから都心への流路は暗渠になってゐた。水番所のあった往時とは全く違ふのだらうが、一度は流れる水を見てみたかったので残念。 |
写真 | |
写真左の石碑は「彰忠碑」で、小さく「希典書」とある。中央に、三個の力石。右に稲荷社。 | |
脚注
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