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牛嶋神社(東京都墨田区向島)

作成日 平成23年12月20日
追記日 令和元年12月08日
よみ  うしじま じんじゃ
所在地  墨田区向島1-4-5 (北緯35度42分46.6秒  東経139度48分16.8秒)  ゼンリン地図
HP  東京都神社庁 都内神社の紹介 牛嶋神社
祭神  須佐之男命(すさのおのみこと)
 天之穂日命(あめのほひのみこと)
 貞辰親王命(さだときしんのうのみこと)
由緒  郷社。本所総鎮守。 掲示の説明書によると、
 牛嶋神社について
 牛嶋神社は、もと本所区向島須崎町に鎮座していたが、関東大震災後昭和のはじめ、水戸徳川邸跡の現在地に再建された。
 当社の縁起書によると貞観二年(860年)御神託によって須佐之男命を郷土守護神として創祀し、のちに天之穂日命をまつり、ついで清和天皇の皇子貞辰親王をお祀りし「王子権現」と称した。
 また天文七年(1538年)後奈良院より「牛御前社」との勅号を賜ったと言われ、隅田川に沿う旧本所一帯の土地を、むかし「牛島」と呼んだところから、その鎮守として明治初年から「牛島神社」と称するようになった。例祭日九月十五日は、貞観のむかしはじめて祭祀を行った日とされている。
 治承四年(1180年)源頼朝が大軍をひきいて当地におもむき、豪雨による洪水に悩まされた時、武将千葉介平常胤が祈願し、全軍無事を得たところから、頼朝はその神徳を尊信して社殿を建立し、多くの神領を寄進した。
 江戸時代には鬼門守護の社として将軍家の崇敬厚く、特に三代将軍家光は、祭礼御輿渡御の旅所として土地を寄進した。現在の本所二丁目のお仮宮がこれである。
 総檜権現造り東都屈指の大社殿を誇る牛島神社は、昭和三十二年鎮座千百年祭を執行、氏子五十余町牛島講の守護神として崇敬尊信をあつめている。
貞観二年(860年)慈覚大師円仁が創建。
貞辰親王は、清和天皇第七皇子で元慶元年(877)この地で亡くなられ、神霊を合祀した。
牛御前社の名は、
 『江戸名所図会』によれば「この地、いにしへ牛島の出アにてありしゆゑ、牛島の出アといふべきを略して、
 牛の御アと唱へたりしならんを、後世誤りてアを前(さき)に書きあらため、またそれを御前と転称せしにやといへり」
といふ。文武天皇の時代(8世紀)、現在の向島から両国にかけての土地には官営の牧場「浮嶋牛牧」があった。
参拝日  平成23年4月10日(日)
雑記  御朱印を頂くとき、拝殿の中に上がって頂いた。
 撫で牛や牛の狛犬があるといふが気つかなかった。



平成23年4月10日撮影

平成23年4月10日撮影 三輪鳥居が珍しい

平成23年4月10日撮影 狛犬

平成23年4月10日撮影 社号標は東郷元帥の字 倒れた灯籠二基が見える(東日本大震災(平成23年3月11日の地震)のためか?)

平成23年4月10日撮影 弘福寺西の牛嶋神社旧趾の碑

・R01.12.08 リンク切れを修正(東京都神社庁 牛嶋神社)、倒れた燈籠について補足を追記(時を経たので震災との関係を明記)


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